貧困虐待家庭から社長夫人へ

高級ブランドをさりげなく身に着けている希美は、一見、何不自由なく暮らす、裕福な家庭の妻である。夫は中小企業の社長で隼人と十歳以上離れた妹を育てていた。夫は再婚相手で、隼人は前の夫との間にできた子どもだった。

希美は生まれた頃から父親がおらず、気性の激しい母親の下で育った。母親は、稼いだお金をすべて自分の身なりに使い、希美はいつも同じ服を着て、満足に食べ物さえ与えられていなかった。毎日風呂に入ることさえ許されなかったため、不潔だと学校でいじめられることもあった。母親は、よく自宅に男性を連れ込んでいた。

「この子はお風呂に入らないから、臭くて汚いの」

そう言って、希美はいつも男性の前でけなされていた。いま思えば、母親は男性が娘の方を気に入ってしまうことを恐れたのかもしれない。希美は一刻も早く大人になって、母親から逃れたいと願っていた。

希美は中学を卒業後、すぐに家を出て、アルバイトをしながら美容師の資格を取った。18歳の頃、同じ美容院で働く同僚と結婚し、隼人が生まれた。最初の夫は、結婚した途端、金使いが荒くなり、酒に酔っては希美や隼人に暴力を振るった。

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非行を繰り返し、中学卒業後から独り暮らしに

希美は夫と離婚した。夫は同業者だったことから、希美は美容師を続けることが嫌になり、一時期、ホステスとして働いていた。そこで知り合ったのが、現在の夫である。

夫との生活は順調だったが、娘が生まれると、夫は隼人に冷たく接するようになった。隼人も夫に懐かず、家族で旅行に出かける時、自分は留守番すると言ってついてくることはなかった。

隼人は成長するにつれて帰りは遅くなり、食事を共にすることもなくなっていった。隼人の校則違反により、希美は学校から呼び出されることがあった。それでも夫は「好きにさせておけ」と希美が干渉することを嫌がった。隼人は、中学卒業後、知人の営業する飲食店で働くといって独り暮らしを始めていた。

「夫には黙っていましたが、隼人が家を出て行ってからも、週に一度は自宅を訪ねていました。事件前はげっそりと痩せて、疲れ切った様子でした……」

希美は、娘が事件によって不利益を受けることを心配し、夫から隼人と縁を切るように迫られ悩んでいた。筆者は希美から、刑務所にいる隼人と面会を続け、出所後、家族の代わりに社会復帰を支援するよう依頼を受けた。