中国共産党が無視する“不都合な真実”
もっとも、いくら学術的に妥当な見解だとしても、現代の中国人にとってこうした話は決して耳に心地よくない。
中華人民共和国は本来、「各民族の大団結」を唱える多民族国家としてスタートした。だが、時代が下るにつれて漢民族中心主義的な傾向が強まり、習近平政権の成立以降、その方向性は「中華民族の偉大なる復興」のスローガンのもとでいっそう濃厚になった。
現代中国でいう「中華民族」は、実質的には漢民族とほぼイコールだ。少数民族は漢民族と文化的に同化することで、その仲間として認められる。近年の新疆ウイグル自治区における過酷な少数民族弾圧と文化侵略や、モンゴル族や朝鮮族に対して進められている中国語教育の強化も、少数民族を中華民族化(=漢化)する過程で起きている現象である。
一連の政策の根底に存在するのは、漢民族が他の民族を同化することはあっても、逆にそれらから影響を受けることはほとんどないという潜在意識だ。これは公的な言説としては出てこないものの、現実のありかたを見る限りは存在するといわざるを得ない。
しかし、中国史を代表する偉大な王朝である唐は、北族の世界から産声を上げ、中央アジアに対する優越的な地位も北族系のルーツゆえに生まれた。中国史上で「最高の名君」である李世民も、まさに拓跋国家の君主としての性質を体現したような人物だった――。そんな見解は、現代中国の政治的なコンテクストからすれば、あまり都合がよくない。
歴史認識と少数民族問題が直結している
そのためか2021年8月には、中央民族大学歴史文化学院教授の鐘焓という人物が、学術雑誌『史学月刊』で、唐の拓跋国家論に徹底して反対する論文を発表している。
従来、日本を中心におこなわれてきた唐の研究が「内陸アジア史」の視点に偏重しすぎていると批判し、漢民族を中心とした民族統合を強調する内容だ。この文章は学術論文にもかかわらず、中国国内の一般向けのウェブニュースサイトでも盛んに転載されているため、人民に閲読を推奨するべき「政治的に正しい」言説とみなされているようだ。
過去の鐘焓の原稿をさらに調べてみると、中国の主権を強調して「国家分裂」に反発してみせるようなイデオロギー色の強い論考も目立つ。日本の研究者の間では当たり前のように語られる拓跋国家論は、中国では中華民族の伝統を揺るがしかねない危険な言説なのだ。
かつての唐が存在した時期は、おおむね日本における大化の改新から奈良時代、さらに平安時代の初期に相当する。日本の場合、これらの時代の話題は、せいぜい奈良や京都に来る観光客に向けたアピール材料に使われる程度の、遠い昔の歴史にすぎない。だが、中国においては、少数民族問題という最もセンシティブな政治的意味を持ち得るため、極めて生々しい。
中国における唐代は、そんな時代なのである。