中国は伝統的に出世と勉強が深く関係している。紀実作家の安田峰俊さんは「かつての中国では『科挙』と呼ばれる官僚の登用試験が行われていた。現代においても大学受験の競争が過熱しているが、本当に競争が熾烈になるのは大学受験後が終わったあとだ」という――。(第1回)

※本稿は、安田峰俊『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

安徽省阜陽市で試験勉強に励む2024年度の「高考」受験生
写真=CFoto/時事通信フォト
安徽省阜陽市で試験勉強に励む2024年度の「高考」受験生(=2024年5月29日、中国)

「進士」になるのは博士号を取得するより難しい

科挙の受験者はまず、童試どうしと呼ばれる三回の地方予備試験に合格することで、生員という身分を与えられる。生員は形式上は学生だが、すでに庶民とは別格の知識人として認められる身分である。

次におこなわれるのが、各地の省都で通常3年に1回開かれる最初の本試験・郷試だ。こちらは、貢院こういんと呼ばれる受験専門施設に1万〜数万人の生員が集まり、40〜90人ほどが合格する。合格者は挙人きょじんと呼ばれ、この身分の時点で非常に尊敬される立場になる。

次の試験が首都の北京でおこなわれる会試かいしだ。地方から1万数千人の挙人が集まって3回の筆記試験をおこない、数百人が合格する。これを突破すると皇帝が試験官を務める殿試に進むが、殿試では不合格者を出さない不文律があり、実質的には状元以下の順位を決めるイベントである。

すべてに合格した人物は進士しんしの称号が与えられた。進士はかつて、英語で「ドクター」と訳されていたが、称号を取得する難易度はおそらく博士号よりも高い。近年は進士に「presented scholar」(恩賜おんしの学者)という訳語をてることが多いようだ。