「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある」

科挙に合格して進士――。どころか、予備試験を突破して生員になるだけでも、四書五経をすべて暗唱し、さらに歴史や詩文の膨大な書物の内容を自分の血肉にするほどの、非人間的な猛勉強が必要になる。

16世紀、明代後期における科挙の合格者発表の現場
16世紀、明代後期における科挙の合格者発表の現場。明代の画家、仇英が描いたもの(画像= National Palace Museum/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

余談ながら、清末に太平天国の乱を起こした洪秀全こうしゅうぜんは、予備試験に落第して生員にすらなれなかった人物だ。また、科挙は制度のうえではあらゆる階層の男性に受験資格が認められていたが(売買春関係者など少数の例外はある)、一族の若者を生産活動に従事させることなく受験勉強に打ち込ませるには多大な財産が必要となり、両親や親族の負担は大きかった。

ならば、どうして当時の中国人はこの試験地獄を甘受したのか。答えは簡単で、猛勉強の末には苦労が割に合うだけの見返りがあると考えられていたためである。

「富も豪邸も美女も高い身分も、書物のなかにある。男子が志を得たいならばひたすら勉学せよ」とは、中国の民間で流行した『勧学文』という詩の大意だ(作者は宋の真宗しんそうに仮託されている)。かつて日本には「グラウンドにはゼニが落ちている」というプロ野球監督の言葉があったが、伝統中国の場合は「書中にはゼニが落ちている」ということになるだろうか。

中国の政治家には「教養人+経営者」の素質が求められる

そのため、たとえ個々の家庭は比較的貧しくても親戚同士(宗族そうぞく)で学資を出し合い、一族の出来のいい子どもに科挙を受験させて官界に送り込む事例も多くみられた。

事実、科挙に合格すれば最上級の文化人として尊敬されるのみならず、官僚になればさまざまな役得ゆえに財産を築ける。仮に官途を諦めたり、挙人や生員で受験をやめたりしても、郷紳きょうしん(地域の有力者)として敬意を払われ、一族全体の地位も大きく向上する。このような、政治力と経済力を併せ持った知識階級は士大夫と呼ばれた。

ちなみに近年の日本の場合、社会のリーダー層における政治・経済・学問のトップは、それぞれ分離しているのが普通である。たとえば、学界の重鎮である研究者が庶民と変わらない生活をしていたり、政治家や上場企業の社長が教養分野に無関心だったりするのは、よくある話だろう。

だが、科挙と士大夫の伝統を持つ中国の場合は、これらの三要素をすべて併せ持つ人間こそが一流の人材だ。特に政治指導者については、学識が高いほど好ましい人物だとみなされる教養主義が根強い。もちろん、そうした文人政治家にはカネも勝手についてくる。

たとえば、往年の江沢民が中国各地で盛んに揮毫きごうをおこない、英語やロシア語など外国語能力のアピールを好んだことや、中華民国(台湾)の総統だった李登輝りとうきが日本文学の素養や岩波文庫の蔵書量を誇っていたことは、中華世界の士大夫的な権力者像を多分に意識した言動だったと考えていいだろう。