「名君・李世民」のイメージは盛られている

彼の治世である「貞観じょうがんの治」は、善政が敷かれた時期として有名だ。言行録とされる『貞観政要』も、いまもなお日本を含む各国で帝王学の書として盛んに読まれている。

李世民の肖像画
李世民の肖像画(台北国立故宮博物院所蔵)(画像=國立故宮博物院/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ただし、こうした李世民の姿は、後世に作られた虚像も多い。彼の「名君」設定は、多分に自己演出の賜物だったともみられている。李世民が軍事的な天才だったことは確かである。唐の建国当初、竇建徳とうけんとく王世充おうせいじゅうらの強力な群雄を討滅し、父の李淵に天下を取らせたのはひとえに彼の功績だ。

とはいえ、李世民は本来、李淵の後継者ではなかった。彼が帝位を引き継いだのは、626年に兄と弟を殺害するクーデターを起こし(玄武門の変)、優柔不断な父を半ば押し込めて譲位させた結果である。