そこから僕の生活は一転しました。まず、自分を追い込み、負荷を与えるのは、プール内、トレーニング場内に限定した。プールからあがれば、極力、快適に過ごすことを心がけています。ストレスになりそうなことも徹底的に遠ざける。カッコ悪くなったとしても、ストレスらしき気配を感じたら、一目散に逃げる。ストレスまみれの人生よりは、ノーストレスのほうが快適に決まっていますから。

肩ひじを張らない生き方を実践してみると、驚くほど心地よかった。そのうえ、東京大会で念願の金メダルを獲得できました。水泳以外の時間は徹底的に脱力して過ごしたことによってメリハリがつき、僕の中で好循環が生まれたのです。その後も肩ひじを張らない生き方は継続中ですし、このマインドのまま今回のパリ大会にも臨むつもりです。

もしかすると、水泳が個人競技だから、ストレスを遠ざけやすい環境なのかもしれません。究極は自分が速く泳げるようになることが目的なので、闘う相手は常に自分。一方、ビジネスパーソンの方が、企業や組織の中で大勢の人との関わりにストレスを感じている場合は、そう簡単にはストレスを回避できないかもしれません。

でも、「無理をしない」と意識することはできるのではないでしょうか。何かに追い詰められる時間を減らすだけでも、ずいぶんラクになるはずです。うまくいかないことを無理に続ける必要はない。

好きな言葉は「戦略的撤退」。端的に言えば「うまくいかないと思ったらすぐに逃げる」ということです。ただ、「逃げる」を「戦略」と組み合わせることで、多少は「攻め」の姿勢が生まれるような気がしませんか? 「ものごとを進めていくために、一時的に撤退して別の方法を探ろう」というニュアンスも込められているし、「ここは撤退するけれど、次に別の方法で反撃する」という意味合いも生まれる。そう考えると、自信が湧いてくるのです。

リオ大会で金メダルを逃したあと、僕はまるで自分が置かれた環境から逃げ出すかのようにアメリカに練習拠点を移しました。また、2歳のときに全盲になったこともあり、そもそも無意識のうちに「多分、これは無理だろうな」と最初からあきらめてしまう習慣が身についています。

でも、ある頃から「これは戦略的撤退なのだ」と自分に言い聞かせるようになりました。すると、逃げるという行為さえ、成功へと続く長い過程の中の一つに思えてきて、前向きな気持ちになれたのです。

モチベーションが低くてもそれほど気にしなくていい

また、モチベーションはそんなに高くなくてもいいと思っています。それこそ、学生時代から20代前半くらいまでは、その日のモチベーションによってトレーニングの質が向上したり、レースで成果を出せたりしたこともありました。しかし、20代半ば以降は、それが必ずしも結果と比例するわけではなくなってきた。ここ最近では「ヌルッと家を出て、ヌルッと練習をして、ヌルッと家に戻るのがいい」と実感しています。

東京2020大会で金メダルを獲得した際の表彰式の様子(写真=ロイター/アフロ)

東京大会で金メダルを獲得できたからこそ肩の力が抜けたと言ってしまえば、確かにそうかもしれません。ただ、東京大会に臨んだときの僕は肩ひじを張らない生き方ができるようになった後であり、この大会の本番直前でも、ものすごくモチベーションが高いわけではなかった。少しでも速く泳ぐために自分ができることに粛々と勤しむだけでした。むしろ、モチベーションに左右されてトレーニングの量が増えたり減ったり、質が向上したり低下したりしている場合ではない。やるべきことが決まっている以上、それをこなすしかない。だから、今はモチベーションというものをそれほど重視しなくなったのです。

困難に直面したときや、ここ一番の大勝負のとき、「モチベーションを上げなければ!」と自分を鼓舞する方も多いかもしれません。でも、モチベーションが低くても、それほど気にすることはないと僕は思っています。そこまで自分を追い込む必要はない。

仕事の場面では、大一番のプレゼンに向けて粛々と準備をするなど、僕にとっての練習と置き換えられる何かがあると思います。今まで自分に負荷をかけてきたのに思うような成果や実績を残せていないなと感じている方は、試しに僕と同じように「ヌルッと」くらいの感覚で仕事に臨まれてみてもいいのかもしれません。