夫のがん

2014年12月。56歳の夫が悪性リンパ腫と診断された。体調が悪かったため、病院を受診したことで判明した。

毎年の健康診断の血液検査では、ちょっと赤血球が高い程度。ガンマーカーもほとんど上がっていなかった。

「がんになると痩せてくると言われていますが、夫の場合はその逆で、身長168センチ程なのに、体重はマックスで93kgもありました。今思えば、腫れていたせいかもしれません。あと、寝る前にトイレに行っているのに、就寝後15分もするとまたトイレに起きていました。2度目もとてもたくさん出るのだと言っていました」

夫は血液内科の医師に、

「もっと体重を落としてください。このままでは、体重で計算した量の抗がん剤で死にますよ」

と言われた。

夫はリンパ節以外の臓器にリンパ腫があったため、まずはそれを取り除き、その後10kg近く減量して、抗がん剤治療に入った。

約1年で8回抗がん剤を投与し、髪の毛は全部抜け、ひどい倦怠感に苛まれていた。

そして約1年後、血液内科の医師に、

「リンパ腫は臓器などのがんと違って、5年経ったら安心ということにはなりません。薬で寛解となっているだけで、逆に5年過ぎた頃から、再発のリスクは高まります」

との説明を受け、診断から約1年後には仕事に復帰。3カ月に1回の定期健診を受けることになった。

義弟のがん

義父が亡くなり、建て替えていた義実家を義弟名義にした8年後、義妹は中1の息子を連れて、義実家で義母との同居を開始。

すると、少しずつ本性を現し始めた義妹と義母の仲が険悪になっていき、四国で単身働く義弟にそれぞれから頻繁に愚痴電話がかかってくるようになった。

2人の仲裁に疲れ果てた義弟は、勤めていた会社に転勤願いを出すと、なんとリストラされてしまう。

「義弟は、会社から裏切られたというショックやプライドがひどく傷つけられたことから、人懐っこい穏やかな性格が一変し、義母や義妹に当たり散らすようになりました」

この頃義弟はまだ40代後半。そこへ追い討ちをかけるように、大腸がんの診断が下った。

写真=iStock.com/peterschreiber.media
※写真はイメージです

夫は自分ががんになったことを義弟に報告したところ、義弟もがんになっていたことを告げられた。2人は「子どもたちのためにお互い頑張ろう」と励まし合った。

義弟の大腸がんは臓器の外側に進行していくタイプのもので、症状がほとんどないまま他の臓器や腹膜のほうへ広がり、気付いた時にはかなり進行していたようだ。

リストラにあってからの数年、義実家に引きこもり、腐っていた義弟だったが、抗がん剤治療は弱音や文句を言わず、粛々と受け続けていた。

しかし治療開始から約半年後、主治医から

「これ以上抗がん剤治療を続けると、逆に副作用で命を縮めます」

という説明があり、

「今年大学院に入る息子の就職や結婚を見届けたい」

という思いを残しながらも、義弟は緩和ケアに移り、2014年の夏に50代前半で亡くなった。

義弟が亡くなると、義妹はますます本性を現していった。義母を追い出そうとする義妹と、それに抗う義母の戦いが始まった。(以下、後編へ続く)

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