初代店長として「六厘舎のレシピ」を確立

こうして22歳で瀨戸口さんは「六厘舎」の門を叩く。

まずはスープを作ってみて、これは底の見えない仕事だと思い知ったという。同じガラを使って同じ作り方をしても、作り手によって全然違った味になる。その奥深さに夢中になった。

可能性は無限大で、そうそう極められないことを知りつつ、毎日が楽しかった。

瀨戸口さんが「六厘舎」に入ったのは、創業から1年ぐらいたった頃で、大ブレイクの直前だった。テレビ番組で取り上げられ、オンエア後から一気に人気が沸騰した。「六厘舎」が大きくなっていく過程を間近で見られたことは大きな経験になっている。

その後、瀨戸口さんは初代店長に抜擢される。ここで瀨戸口さんはレシピやマニュアル作りを一から行う。それまでは店主の三田遼生さんの作り方を見て学ぶものだったが、これからお店が大きくなっていく中ではマニュアルが必要だと思ったからだ。

食材や調味料をグラム単位で、時間なども細かくマニュアル化し、できるだけ再現性の高いものを作り上げた。

「お店によっては『来る時間によって味が違う』ことや『作り手によって味が違う』ことが魅力になる部分もありますが、自分としては『六厘舎』はそういうお店ではないと捉えていました。『六厘舎』はいつ食べても濃厚で美味しくないとダメだったんです」(瀨戸口さん)

筆者撮影
店主の瀬戸口亮さん。つけ麵の名店「六厘舎」で修業し、爆発的ブームが生まれた時期に初代店長として店を切り盛りした経験をもつ

辞めたいと思ったことは「100回以上」あったが…

「六厘舎」が話題になってからは、「麺屋武蔵」や「中村屋」など各地の名店出身の人たちがつけ麺を学びに来て、瀨戸口さんは人に教える立場になっていく。

その後、東京駅の「東京ラーメンストリート」に支店ができて、瀨戸口さんは2店舗を見ることになる。さらに、この頃からデパートの催事やラーメンイベントなどにも出店するようになる。最終的には9店舗を見て、現場に出ながらマネージャーとして経営にも携わるようになった。

「『六厘舎』には結局8年在籍しました。辞めたいと思ったことは100回以上ありましたが、その都度『ちゃんと考えよう』と思い直しました。

30までに自分のお店を出そうと決めていたので、30歳6カ月で退職し、その後独立に向けて動き出しました」(瀨戸口さん)

筆者撮影

こうして2014年10月、埼玉県三郷市に「つけめん さなだ」はオープンした。長年「六厘舎」三田店主の右腕としてやってきた瀨戸口さん。「六厘舎」初代店長のお店ということで物凄いプレッシャーだった。

「とにかく三田さんの偉大さを思い知りました。三田さんが凄すぎたんです。お店に三田さんがいないと帰ってしまうお客さんも多かった。そんな『六厘舎』からの独立だったので、絶対にこけられないプレッシャーと戦いました」(瀨戸口さん)