「うなぎ屋さんの子ね」と言われるのがツラかった
2000年代以降、御花の停滞原因の一つとなったのは、そのビジネスモデルにある。変わらず団体ツアー客の需要はあるものの、9割が日帰り、しかもほとんどが昼食利用のみだった。
当時、福岡を起点とした一般的な団体ツアーの行程は次のようなものだった。まず福岡空港に集合し、太宰府天満宮を見学した後、お昼前に柳川にやってくる。柳川でのメイン観光は川下りであるため、ゆっくりと昼食をとる時間はない。そして、川下りが終わると、すぐさま佐賀県の武雄や嬉野、大分県の湯布院といった温泉地に向けて出発する。
柳川にカネが落ちる機会は、昼食と川下り程度。それでも御花は昼食会場として稼いでいるからマシだと思うかもしれない。ただ、その現場は極めて混乱に満ちたものだった。
「お客さんはお昼時に集中して、一斉にやって来ます。定員300人ほどのレストランに1500人も受け入れていました。ですから15分刻みで“テトリス”のように席を組み合わせて作る状態。席が空いた瞬間に片付けて次の人を入れます。当然、お客さんの満足度は低かったですよね」
しかも、御花の売りはレストランではなく庭園や史料館だったが、そこに案内するどころか、説明する隙もなかった。
「御花の滞在は30~40分。うなぎのせいろ蒸しを食べたらもう集合場所へ行かなくてはなりません。ほとんどのお客さんはうなぎ屋という印象しか残ってないはず。実際、私も(就職先の東京から)柳川に戻ってきて、いろいろなところで名刺交換すると、うなぎ屋さんの子ねと言われました。それがとても辛くて」と立花社長は吐露する。
「客を送るから安くして」という要望が絶えなかった
百歩譲って、たとえ昼食会場というイメージしかなくても、きちんと収益を確保できていたなら、割り切ってしまうという考えもあったかもしれない。しかし、現実はそうではなかった。団体ツアーを企画する旅行代理店には庭園や史料館を見学する時間がないためもっと料金を値引きできないかと言われることもあった。実際にコロナ禍前までは団体ツアーの場合、入館料を半額程度まで安くすることがあった。
「私どもは入館してもらってからレストランへとご案内するのですが、見学する時間が少ないから入館料を払いたくないという旅行代理店もいました。常套句ですよね。うちの営業マンも一生懸命やってくれてはいましたが、『多くを送客するから安くしてほしい』といった要望は絶えませんでした」
経営者としてはそのことを良しとは思っていなかったが、策を講じる余裕もなく、ただただ値引き交渉に屈する日々が何年も続いていた。