2020年代になってから元娼婦の女性と再会して聞いた体験談

田中さんに最初にインタビュー取材したのは2022年1月だったが、2023年11月、ふたたび話を聞くと、意外な事があったという。

田中さんは2022年春以降、通っていた温泉施設で、元娼婦ではないかと思われる高齢の女性を見かけるようになった。

小柄で細身、シャンと伸びた背筋。色のついためがねをかけ、ヒョウ柄のレギンスがよく似合っていた。足元は赤い鼻緒のゲタで、爪は赤いペディキュアが施されていた。周囲の高齢女性とは明らかに雰囲気が異なる「かっこいい」風貌に加え、田中さんが元娼婦ではないかと思った理由は、女性の仕草にあった。女性は同年代の女性数人と談笑していたが、その時、手を大きく広げたり、指を鳴らしたり、口笛を吹いたりといったリアクションをしていた。田中さんは少年の頃、米兵を相手にし、そのような仕草をする女性をよく見ていた。

「トシ坊だろ?」

田中さんが、温泉施設でその女性から声をかけられたのは、その年の秋頃だった。

田中さんを利夫という名前にちなんで「トシ坊」と呼ぶのは、貸席屋に出入りしていた女性たちくらいだった。田中さんはその女性のことは記憶になかったが、女性は貸席屋を利用したことがあると明かし、親切にしてくれた田中さんの母親のことを懐かしんでいたという。子どもの頃しか知らないはずなのに、どうして田中さんとわかったのか。そう聞くと、女性は「自分の亡くなった兄と鼻の形が似ていて、印象に残っていたから」と答えた。

北関東の貧しい家に生まれ、蔑まれる境遇から抜け出そうとした

その後、田中さんは女性と温泉施設で会った際、計3回にわたり女性の生い立ちや朝霞での思い出を聞いた。田中さんが聞かせてほしいと頼んだわけではなく、女性自らが語り始めたという。田中さんは女性から聞き取った内容をノートに書き残しており、それを見ながら自身の体験なども交え、取材に応じてくれた。

2022年時点で、女性は86歳だと言った。1934年か35年生まれとみられ、朝霞では「アカネ」(仮名)という名で商売をしていたという。

アカネさんは北関東の山間部で生まれた。母はアカネさんが幼い頃に亡くなっており、父、兄2人と暮らしていた。生活は貧しく、アカネさんは兄のお下がりの服ばかり着ていたため、「男」と呼ばれた。他の女の子のように、髪をリボンで飾ったり、スカートをはいたりすることはかなわなかった。

学校では貧しいがためにつらい思いをした。アカネさんは「あたい、結構かわいかった」と語るが、小学校の学芸会ではお金持ちの子にいい役が回された。友人が先生にアカネさんを主要な役にするよう推薦しても、聞き入れられなかった。

陸上自衛隊朝霞駐屯地の振武台記念館。旧日本陸軍の学校であり、米軍基地があった時代は接収され使用された(写真=los688/PD-self/Wikimedia Commons