娼婦8人のヒモになり、もうけを搾取していた伝説の男も

当時、朝霞には体を張って稼ぐパンパンに近づき、「ヒモ」になってもうけをかすめ取る日本人男性もいた。客引きやヤクザ者が、甘言を弄して女性を操り、客を取らせるなどして利益を搾取していたのだ。

アカネさんも、ある男性から「おれの女になれ」と声をかけられた。その男性は、田中さんも知っている人物で、有名俳優に似ていたことから界隈ではその愛称で呼ばれていた。男性は少年の頃から不良行為が絶えず、事件を起こしたことから東京・練馬にある東京少年鑑別所(通称・「ネリカン」)に入っていた。当時は鑑別所から出た少年たちを「ネリカン上がり」と呼び、本人たちは勲章のようにとらえていた。男性もネリカン上がりの経歴をひっさげて、朝霞の町を闊歩していたらしい。

その男性は常に7、8人の女性と関係を持ち、ヒモとなって金を受け取り遊び歩いていた。女性からもらった金で車を買い、乗り回していたという。しかし、アカネさんは、男性からの誘いを断った。「男のくせに、女から搾り取って遊んでるやつなんて、顔を見ただけでむしずが走る」ときっぱり言い放ったという。

そして田中さんに、「ヒモはノーサンキュー。私はそんな弱い女じゃない。ヒモにいいようにされる女は1人で立ってられないんだ」と語った。

男性はその後もヒモを続けていたが、40歳頃に心筋梗塞で急死した。

身を売る女性たちにつけこむヒモの男、宗教の勧誘

女性たちにつけこむのは、ヒモ男だけではなかった。ある宗教も信者を増やそうと、パンパンやキャバレーなどで働く女性たちを狙って熱心に勧誘した。アカネさんも誘われたというが、実際に入信したかどうかは定かではない。

アカネさんはそのほか、パンパンをやっていたときのメーク方法、当時内ももに緋牡丹の柄の入れ墨を入れ、今も残っているが年を経て「くさったキャベツ」のようになっていることなどを笑いながら語った。

田中さんから聞くアカネさんの言動から判断する限り、独立心が強く、誰かに、とくに男性に依存することをよしとしない、さっぱりした性格のように思える。憧れる人も多かった「オンリー」が嫌だという主張からは、米兵との関係をあくまで金銭を稼ぐ手段としてとらえ、一定の距離を置き、自分のコントロールできる範囲で商売をしたい、という強い意志が感じられる。