母にとって「安全に住めること」は最上位ではない

日中、鍵は掛けずに生活し、親しい母のお友達が勝手に上がって昼寝しているなんてこともありました。子を育て、孫の世話をしてきた場所でもあります。家庭内の悩みも気苦労も分かち合い、励ましあい、泣いて笑ってきた場所です。母にとって、安全に住めることが最上位ではなく、彼女らしい暮らしが、いや、母の人生そのものが真備にあるといっても過言ではないのでしょう。

母の健康状態が心配だったため、みなし仮設住宅にひとり残して、父と私は毎日昼間に真備へ片付けに戻っていたのですが、ある日の夕方にみなし仮設住宅に戻ると、母はパジャマ姿のまま、ぼーっと座っていました。おそらく、これが認知症の始まりだったのだと思います。

母は携帯電話を持っておらず、固定電話で友人とつながっていました。ですから、被災後、近所の友達がどこに散らばっていったのか、わかりませんでした。この寂しさが認知症を発症させてしまったのかもしれません。

真備に戻りたいのは母だけではなく、父もです。母が真備に戻りたい理由はわかりましたが、リタイヤしたとはいえ、毎週ゴルフを楽しみ、地元の活動には一切関わらないでいた父が、真備に戻りたいという理由がわかりません。そこで父に聞いてみると、「飼い犬のトイプードルの散歩道が違う。土がない。舗装されている」というのです。

だから、被災しても9割が「戻りたい」と希望する

みなし仮設住宅の周辺は真備よりは栄えている地域で、片側3車線の交通量の多い道路沿いの住宅街でした。その環境の変化に戸惑っていたのですね。

真備町に戻りたいと思っていたのは両親だけではありませんでした。実際に、発災から2カ月後に真備町川辺地区に住んでいた人々240人にアンケートを取ったところ、9割が「戻りたい」と回答していました。

金藤純子『今すぐ逃げて!人ごとではない自然災害』(プレジデント社)

生まれ育った場所だけが故郷なのではない。引っ越し組でも半世紀も暮らしていたら、そこが故郷になっていくのだ。私は、メディアなどで見てきた過去の「社会的孤立」「被災地の孤独死」「地域コミュニティの崩壊」という単語の意味を映像として、生活シーンとして初めて想像することになりました。

被災するまで、津波や洪水浸水の危険地区に戻ろうとする被災者の気持ちはなかなか理解できませんでした。いえ、被災しても両親の強い抵抗がなければ、気づかなかったかもしれません。

でも、住み慣れた暮らしを失うことは、自分の生きてきた証や自分そのものを見失うような耐えがたい経験なのです。だから、人々は被災地に戻ろうとするのではないでしょうか。

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