2カ月間、頭痛と下痢に見舞われ続けた
そこで倉敷市内の中でも被災していない下流のほうにあるスーパーやホームセンターに買い物に行ったところ、スコップやデッキブラシ、長靴、バケツ、たらい、水タンクといった片付けに必要な道具が売り切れてなくなってしまっていました。それらを買うためには被災地から相当離れた地域のホームセンターまで行かなければいけません。
しかし、やるべきことが多すぎてそこまで行く余裕がありません。そこで友人に買い出しをお願いして、タンクに水を詰めて真備町まで届けてもらいました。
真夏の災害です。水分や塩分が不足し、疲労の中、熱中症になる人が続出しました。私も毎日毎日、片付けをし、仮住宅の手配をし、段ボールの上にお皿をのせて食事をとり、家財を買い、生活基盤を整えるという暮らしが続きました。心労がたたったのか、被災後2カ月ほどはずっと頭痛と下痢に見舞われました。しかし不思議なものですね。涙は流れないのです。
片付けのため、みなし仮設住宅(賃貸型応急住宅)と真備を往復するのですが、ある日の夕方の帰り道、眠くて眠くて意識が飛び、運転が危険な状況に陥ったこともありました。
なんとかスーパーの駐車場に停車し睡眠をとり、意識を取り戻しました。それでも私には支えてくれる多数の友人がいて、復職する職場があり、前向きな気持ちがありました。
死者73人、仮設住宅の入居者は最大8780人
そして、災害が発生してから1カ月半後の8月22日から、やっと仕事に復帰することができました。それでも、これはかなり早く復帰できたほうでした。お年寄りだけのお宅ではなかなか片付けが進まず、被災した後何カ月間も元の生活に戻れないことも決して珍しくありません。私が早く復帰できたのは、段取りと役割分担を決めて、同僚や友人たち、ボランティアスタッフが手伝ってくれたからでした。
甚大な自然災害が起きた被災地は、全壊・半壊の家屋の片付けのみならず、ライフラインが途絶していますから、すぐに戻って生活することはできません。電気もですが、地中を通るガス管、上下水道の復旧に相当な時間が必要となります。
長期にわたり自らの住宅に居住できないと市町長(地方公共団体)が認める地域では、住宅再建までの間、一時的にみなし仮設住宅(賃貸型応急住宅)が提供されます。被災者はこのみなし仮設住宅で生活しながら、生活再建を行っていきます。