戦艦大和が温存され続けた背景

【半藤】南太平洋にあった海軍の拠点、トラック島に大和も武蔵も勢揃いしていたのですが、そこからガダルカナルに突っ込んでいこうというときに、積んでいく石油がトラック島になかった。大和は停まっていても、油を毎日五〇トンも食う。座っているだけでも電気を消耗しますから。

【保阪】停電にしておくわけにはいかないのですか。

【半藤】火薬庫や弾薬庫があるのでそれを冷やすために冷却装置だけは動かしておかなければいけないんです。それに三千人もの乗組員が乗っているから艦内生活のためにも油が必要。航空参謀の源田みのるが「世界三大バカ。それは万里の長城、スフィンクスそして戦艦大和だ」と言ったそうですがね(笑)。

【保阪】この頃、斎藤実内閣時代の陸軍省の担当主計官は、後に総理となる福田赴夫たけおでした。福田赴夫の『回顧九十年』に開戦前、二・二六事件の頃のことがでてきます。「軍人からは軍刀で脅されたこともあれば、お世辞を言われたり、ネコなで声で丁寧に陳情されたこともある」と。

予算を組むときにはそういうことがあったと書いていました。ひょっとしたら海軍補充計画予算の獲得に動いた石川信吾も、それに近いようなことをしたのではないか、と思ったりしたのですが。

大蔵省の予算査定を通過させた悪知恵

【半藤】そうかもしれません。大蔵省への掛け合いについても石川は能弁なんです。こんな自慢話をしています。

五・一五事件の後斎藤内閣が出来て、高橋蔵相は留任したが海軍補充計画による予算が大蔵省で査定されて一つも通らない。私は兼ねてから大蔵大臣秘書の上塚司うえつかつかさ氏を知っており、同和クラブで数回会食し、日本の大陸政策と造艦計画などに就いて話をしたことがあるので「石川参謀一つ大蔵省に掛け合ってくれ」と云うことになった。以前、私が独断森かく書記官長に臨時軍事費を掛け合った時は越権なりとおきゅうをすえておきながら、随分勝手なものだと思ったが、背に腹は代えられぬので、上塚秘書を訪ねてその必要なる所以を力説した。かねてからその積もりで教育してあったので理解が早い。秘書は一項目毎に私の説明を聴くと大臣の処へ伝えに行った。大臣は主計局長と共にその説明を聴いたが全部通った。

「必要なる所以を力説」というのは、おそらく脅しにちかいものだったのではないでしょうか。ガンガン言ったのではないかな。

半藤一利、保阪正康『失敗の本質 日本海軍と昭和史』(毎日文庫)

【保阪】福田赳夫にいわせると、「俺たちは防衛を担っている。そのカネじゃ防衛の責任は持てない」と。彼らはそれを必ず言ったとありました。

【半藤】蔵相秘書を日頃飲ませて「教育してあったので理解が早い」などと、厚顔にも平気で喋っている。

【保阪】呆れてしまいます。海軍はこうした秘密を昭和三十年代に当事者から聞きだして、そして隠した。そういう知恵があった。

【半藤】このあたりは「善玉」ならぬ「悪知恵」海軍というべきかもしれません。

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