現在の徳川家当主は松平容保の子孫で、祖は家康の末っ子
長男・信康に男子がなく、三男・徳川秀忠の血筋は七代家継で絶えた。四男、五男、七男、八男には男子がなく、六男・松平忠輝には子孫が残っていない(はず)と言われる。
九男・尾張徳川義直の血筋は18世紀末に八代宗睦で絶えた。次男・秀康の子孫は今に伝えられているが、徳川姓を名乗った者はいない。
現在の徳川家第十九代当主・徳川家広(作家・翻訳家)は、最後の会津藩主・松平容保の六男の長男の次男の長男にあたる。さかのぼれば、そのルーツは家康の末っ子、十一男の頼房だ。
江戸幕府が終焉した幕末以降、徳川を名乗っているのは、家康が60歳以降になってから生まれた、十男・紀伊家家祖の徳川頼宣、十一男・水戸家家祖徳川頼房の子孫だけなのである。あの時、がんばっていたから、今がある。そんな感じといえよう。