できないなら安易に「原作モノ」に手を出すべきではない

私はこれまで2回、オプション契約をおこなったことがある。1回目は前述の「ミッドナイト・ジャーナル」のときで、「こういう方法をやっていかないと新しいドラマは開発できない」と局内を強引に説得して、脚本家の羽原大介氏にお願いして脚本を先に作ってから主役をキャストした。当時の上司に理解があったことと、羽原氏が「ドラマ化は決まっていないが、そうしたいと思っている。脚本料は払うのでこういった試みに乗ってほしい」という私のお願いを快く受け入れてくれたことが幸いとなった。

2回目は、「二つの祖国」のときで、映像化の条件が最初から「脚本化してその脚本で合意してから」というものだったので、これも社内を説得して出版社とオプション契約を結んだ。費用はかかるし、キャストは最終決定できない、社内では企画が「最終GO」にはなっていないという胃が痛い状態が1年以上も続いた。

以上のように、かなり強引な交渉をおこなうか、やんごとない事情がある場合を除いて、いまのテレビではこういった方法は通常的ではない。

しかし、私が「原作モノのドラマの場合には、脚本を作ってから制作に入る」ということを提言しているのは、これはとても難しいことではあるが、それだけに、「これができないようなら、安易に原作に手を出すべきではない」ということを言いたいからだ。プロデューサー、テレビ局はそういう「覚悟」で挑んでほしいと願っている。

そしてテレビの構造的な欠陥を浮き彫りにする4つ目の視点「リスクマネージメントや想像力の欠如」であるが、これはテレビ業界に限ったことではなく、社会全体やほかの業界にも共通する問題である。前述したポスター事件は、普段の生活の中やビジネスの場でも起こりえることだ。それを防ぐためには、「リテラシー」を磨く必要がある。

東京・汐留の日本テレビ(写真=Suicasmo/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

テレビマンに決定的に欠けていた2つの要素

では、どうやったらリテラシーを磨くことができるのか。コツは、次の2つの能力を鍛えてゆくことにある。

①想像力(imagination)
②リスクマネージメント能力

①の「想像力(imagination)」は「もしこうしたら、こうなる」と想像することができる力である。先程のポスター事件の例でいえば、「もしネットで見つけた図案を許可なく使ってしまったら、ヤバいことになる」と想像するということだ。しかし、もし想像力が備わっていても「未必の故意」が邪魔をすることがある。「未必の故意」とは、「もしネットで見つけた図案を許可なく使ってしまったら、ヤバいことになる」ということが想像できたとしても「そうなっても仕方がない」と許容してしまうような場合を指す。

そこで必要になるのが、②の「リスクマネージメント能力」だ。「リスクマネージメント能力」とは、リスク(危険)を回避しようとする気持ちやその力を意味する。