行きたくないのに

月野さんが小1、兄が小3になると、突然、車で40分もかかる塾に週2で通うことになった。平日の17時頃に家を出発するため、母親は3歳の妹も連れて行った。

「兄のための塾でしたが、私も強制的に連れて行かれました。私は楽しみにしていた『忍たま乱太郎』が見れなくなるため、『面倒くさい』という感情ばかりが先立ちました」

着いた所は、細長い民家。玄関もその先も薄暗く、嫌々連れてこられた月野さんのテンションは地に落ちた。

そこにいたのは、「勝子先生」と呼ばれる白髪で小太りなおばさん。塾長で、この民家の持ち主だった。

「勝子先生は笑顔でも目が笑ってない人で、塾生は他に4人いました。誰も聞いていないのに1人で早口でしゃべっている小学校高学年男子“早口男”。無言でくねくねへらへらしている中学年男子“くね男”。そして大人しそうな姉と利発そうな妹の小学生姉妹。妹はゆりちゃんといって私と同じ年齢でした」

“くね男”の隣には母親らしき人がいて、“くね男”が少しでもくねくねすると容赦なくつねった。よく見ると、“くね男”はつねられた痕だらけだった。

子どもたちは畳に正座し、長机に1列に並んで勉強していた。

ある日の授業は、1人ずつ立って、持ってきた国語の教科書を読むというもの。その中に出てきた単語を勝子先生が挙げて、その単語を使って全員が5分ほどで短文を作り、1人ずつ発表。作った短文の数や出来具合で勝子先生が採点し、点数を競い合う。

「学校のクラスのみんなでやったら楽しかったかもしれませんが、その塾でやるのはただ苦しかったです。母のそばで遊んでいる妹が羨ましくてしかたありませんでした」

“くね男”は文字が読めず、教科書すら持ってきていないようだった。時々「あぁ!」とか「ふぅー!」とか「なななな!」などと叫び出すたびに母親がつねり、それでまた叫んだ。

月野さんは“くね男”が叫ぶたびに恐怖で心臓が縮み上がった。

「助けてほしくてチラチラ母のほうを見たのですが、母は兄しか見ておらず、短文作りを手伝っていました。手伝っているというより、母が考えた短文を兄はノートに書くだけでした」

写真=iStock.com/T-kin
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“早口男”は教科書の音読も、早すぎて何を言っているのかわからなかった。勝子先生が「そこまで」と言っても読むのをやめない。無理矢理教科書を閉じると、読むのをやっとやめる。やめた後は、アフリカに生息する蝶々の話を、虚空を見つめながら大声で話し出した。

姉妹の姉は、音読する時も発表する時も、顔や耳が真っ赤になった。声が小さくて何を言っているのか全く聞きとれなかった。

しかし勝子先生は聞きとれているようで、漢字の読み方などの間違いを正す。その度に姉は慌てふためき、もっと真っ赤になった。

姉の音読中に妹のゆりちゃんを見ると、無表情でただ真っ直ぐ前を向いており、姉の音読が終わるとまたいつもの利発そうな顔に戻った。そして大きな声ではっきりと、誰よりもスラスラと教科書を音読した。

「兄は、音読中に漢字がわからなくて、何度も何度もイライラしながら母に聞いていました。その度に母は教科書を覗きこみ、一生懸命にふりがなを振りました。その間、私もゆりちゃんと同じように無表情を崩さなかったんだろうなと思います」

月野さんの兄は、小学生になってからできないことがどんどん増えていった。足し算引き算。繰り上がり繰り下がり。複雑な漢字を覚えられない。早く走れない。音符が読めない。自分の意見を言えない。

兄よりも2歳下の月野さんのほうが“できる”ようになっていくに従い、兄から笑顔が消えていった。日に日に兄はイライラするようになった。少し前までは仲良しだった兄と月野さんの間には会話が消えた。

「勝子先生の塾では、いつも私が1番でした。でも学校では全然1番じゃありません。兄は塾に行く日になると荒れ、母はこう言いました。『兄くんは頑張っているからね。疲れたんだよね?』。そうなのかもしれません。でも、兄は塾しかないかもしれませんが、私はピアノもバレエも英語も習いに行っていました。兄の塾に行くせいで練習や宿題をする時間がなくなる。行きたくもないのに文句ひとつ言わず、兄のために行っているのに……」

月野さんの心の中に、どんどん黒いものが膨らんでいった。