116人の遺体が埋められた教会裏の集団墓地

町の中心部にある聖アンドリュー教会は、金色のドームを冠した白亜の建物だった。壁にはところどころ穴が開いている。サッカー場ほどの広さの裏庭に回ると、土が背の高さにまで盛られた一角があった。掘り起こされた集団墓地だ。

長さ13メートル、幅2メートル、深さ1メートルほどの細長い溝が掘られており、片端に遺体を包んだ大きな黒いポリ袋が10袋ほど積み重ねられている。ほかにも土にまみれた黒や白の袋が溝の底にいくつか置かれていた。

しめった土肌に目を凝らすと、ジャンパーのような布の先から、土色になった左手が出ているのが見えた。

左肩から先の部分、シャツを着た腹部、ズボンをはいた右太ももといった人体の一部があちこちから露出している。この土の中に、まだ何体もの遺体が埋まっている。そう思うと底知れぬ恐怖を覚えた。

集団墓地からは116人の遺体が掘り出され、うち女性が30人、子どもが2人だった。ブチャ全体では509人に達した。こうしたブチャの惨状は、侵攻から一カ月半がたって厭戦の空気が漂い始めていた国際世論を一変させた。

ウクライナ大統領ボロディミル・ゼレンスキーは「ジェノサイドだ」と強く非難し、西側諸国からもロシア軍の戦争犯罪を糾弾する声が噴出した。米国やEU、日本はすぐに追加制裁に踏み切った。国連総会は、ロシアの人権理事会の理事国としての資格を停止する決議を採択した。

教会の裏手で見つかった集団墓地には遺体袋が山積みになっていた。土の中から手や太ももといった人体の一部が見えた(22年4月5日、ブチャ)〈『移民・難民たちの新世界地図』(新潮社)より〉

ロシアは“でっち上げ”と関与を否定した

一方、ロシア国防省は4月3日、テレグラムへの投稿で、ロシア軍管理下では「住民は一人たりとも、いかなる暴力行為も受けていない」と関与を否定し、ブチャの映像はウクライナ政府が「西側メディアに向けてでっち上げて演出した挑発行為だ」と主張した。

ネット上では、ロシア国防省と欧米メディアによる真贋論争が繰り広げられた。

ロシア国防省は3日、動画を添付して「『遺体』が手を上げたり、座り込んだりしている。より劇的な映像を作り出すために意図的に並べられたようだ」とする分析をテレグラムに投稿した。

村山祐介『移民・難民たちの新世界地図』(新潮社)

これに対し、英BBC記者は4日にXで、動画の分析から、遺体が動いたように見えるのはガラスの汚れや水滴、動画の圧縮などが要因と指摘。ニューヨーク・タイムズも4日の記事で、衛星写真の解析をもとに、少なくとも一一の遺体がロシア軍占領下の3月11日に路上に存在していたと報じた。

こうした英語によるファクトチェックが、国営メディアを通じて拡散するロシア側の主張に触れたすべての人に届くわけではない。

相矛盾する情報が飛び交うことで、「どれも信用できない」「どっちもどっち」という印象を与えたり、傍観する理由を用意したりするのが狙いとすれば、完全否定して偽情報をばらまく手法にはそれなりの効果があるようにも思えた。

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