現実とは思えない光景が広がっていた

ブチャとの境に近づくと、2階建ての倉庫のような巨大な建物が激しく崩れ落ちていた。内部は黒焦げで鉄骨は茶色くさびており、無数の鉄板や鉄パイプが突き出て、外装の一部だったシートが風にゆらゆらと揺れている。ボウリング場と映画館を併設した人気の郊外型ショッピングモールだったと聞いても、元の姿は想像もつかなかった。

道の向かいに使われていない線路があり、その上に黒い塊があった。燃えた廃材かと思ったが、全身黒焦げの状態であおむけに横たわる2体の遺体だった。衣服はほぼ燃え尽きて、皮膚に張り付いていた。左側の遺体は左太ももがかじり取られたようになっており、赤い肉片がむき出しになっていた。

体つきから、2体とも成人男性のようだった。周りには空のペットボトルやフルーツジュースの紙パック、焦げた木片が散らばっていた。

そのすぐそばを車が行き来していく。本当に現実世界の光景なのか、自分の感覚がおかしくなっていくのを感じた。小さな川を渡った先がブチャだった。

入ってすぐの交差点を東西に横切るのが、本書のプロローグでしるしたように、路上に遺体が点々と転がっていたヤブロンスカ通りだ。第一報から3日が過ぎて遺体は回収されていたが、殺された住民が乗っていた緑色の自転車はそのままで、充電器などの小物が歩道に散らばっていた。

交差点から北に向かう駅前通りは、装甲車両の残骸で足の踏み場もないほどだった。上部が吹き飛んだ戦車の脇に砲台や車輪が転がっており、色あせた塗装にロシア軍を示す「V」の字が描かれている車両もある。もはや元の姿が見当もつかない鉄くずもあった。

500メートルほどの区間に十数台の大型車両が打ち捨ててあり、いずれも茶色くさびていた。最初にブチャに進軍したロシア軍部隊が、ウクライナ軍の急襲で壊滅した跡だ。

「遺体は軍人じゃなくて市民ばかりだった…」

この日はメディアを案内するプレスツアーが組まれており、カメラやマイクを手にした報道関係者数百人が通りを埋め尽くしていた。駅前通りに面した一軒家の住人が姿を見せると、報道陣が一斉にカメラを向けてインタビューが始まった。

記者の一人が「ロシア軍の戦争犯罪を目撃しましたか」と尋ねると、年金暮らしのドミトロ・ザモジルニ(56)は「いいや……」と肩をすぼめた。

「砲撃が絶え間なく続いて怖かったから、外に出ないで両親とずっと家にこもっていたんだ」

電気も暖房も止まる中、れんがでかまどをつくり、薪を燃やしてお湯を沸かし、じゃがいもとおかゆを食べてしのいだ。ロシア兵にスマホを取り上げられ、ベッドの下やクローゼットの中まで調べられた。だれか隠れていないか捜している様子だったという。

「ロシア軍がいなくなった3月31日に外に出たとき、1キロほどの範囲に15の遺体があった。軍人じゃなくて市民ばかりで、一人は近所の人だったよ」

私たちはヤブロンスカ通りを車で西に走った。長い直線道路に沿って庭付きの古い一戸建てが並んでいるが、家屋のフェンスがあちこちで押し倒されている。大破してさびた車が路上や歩道に何台も放置されていた。

路肩に乗り上げて全焼していた乗用車は、ボンネットが大きくひしゃげ、前方の街路樹が押し倒されていた。中をのぞくと、金属がむき出しになった運転席の上に黒焦げの細長い塊があった。下半身に当たる部分が燃え残り、ピンク色の肉片があらわになっている。

米ニューヨーク・タイムズによると、車は3月3日、走行中にロシア軍の発砲を受け、街路樹に衝突して炎上した。遺体は地元の技師(50)で、父親に食料品を届けた直後だったという。