【保阪】富岡定俊は長生きしたためか弁解が多過ぎる。その著書、『開戦と終戦』とかを読むと腹が立ってきますよ。このときの経緯を軍令部作戦部長だった中沢佑少将は、短くサラッと語っているんです。

大西第二航空艦隊長官は、レイテ沖海戦において始めて飛行機の特攻戦法を実施した。その前に一度大西中将が軍令部に来て、伊藤[整一]次長と私の前で「戦況かくなる上は、飛行機の特攻以外に方法はないと思う、中央の承認を得たい」と申出されたことがある。これに対して「中央としては特攻をやれとは言われない。しかし、当事者がやると言うならば涙をふるって認める」と返事した。

こうとでも言っておかないと軍令部の立つ瀬がないというような感じと言いますか、中沢もまた、逃げているような印象を受けました。

爆撃機の前でくつろぐ待機中の海軍航空隊(写真=アメリカ海軍/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

戦後を生き抜くための言い訳が「特攻作戦の父」を作り上げた

【半藤】明らかに自分たちの責任逃れ。責任は大西にあり、という典型的なもの言いだと思います。大西瀧治郎だけが最後まで徹底抗戦特攻派にされてしまっているので、かなり注意して見なければいけないところです。

【保阪】これはどうなのでしょうか。富岡定俊が、「人命の尊重」と題された項で、こんなことを言っているんです。

アメリカ人は非常に人命を大切にする。……そこへ行くと日本人は潔癖すぎて、艦を沈めたら理由の如何を問わず、艦長は引責自決しなければならないように思われていた。これは日本軍人の伝統的美点であるが、まことに勿体ないことである。私は、かつて具体的に勘定したことがあるが私を少将にまで育て上げるに、日本海軍は実に時価三億円を要している。精神問題を別にしても、いざ戦さとなったら最も有効に人を使うようにしなければなるまい。

半藤一利、保阪正康『失敗の本質 日本海軍と昭和史』(毎日文庫)

要するに艦と運命をともにするなんてまったく意味がない、と。一人の少将を育てるのに三億円。「時価」とあるので戦後の取材当時の金額で、ということでしょうけれど、本当にそんなにかかるものなんですか。

【半藤】現在のサラリーマンでも、平均生涯賃金は三億に届かないでしょう。たしかに兵学校はタダ、食うものも着るものも全部支給、少尉以上は月給が出る。それで船に乗っていると手当てがボンボン支給される。しかし、そうは言っても三億円はなんぼなんでも多すぎるような気がします。

【保阪】誇大に見積もって、自分たち将官は無駄に死んではいかん逸材だったのだと言いたかったのかもしれないですね。

【半藤】生き残ったことへの後ろめたさをふっ切るような言い訳が、他者にも自分にも必要だったのかもしれません。

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