マツコ・デラックスが炎上しない理由
私自身、「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)にゲスト出演したときに、マツコから「元号の研究だけで生活できるの?」と言われた。口ぶりはフラットではあるものの、その質問は、おざなりではなく、誰に対してもリスペクトを欠いていなかった。それどころか、マツコは、収録の前後にはスタジオの出入り口に立って、出演者全員にお辞儀をしていた。
だからといって、マツコは、そのギャップを売りになど決してしてこなかった。「実は、ちゃんとしている」というキャラ設定をしてこなかったのではないか。あくまでも、テレビの中では、マツコ・デラックスを演じ続け、その裏側に何があるのか、本音では何を考えているのか、などと憶測させてこなかった。
社会学者の太田省一氏が鋭く指摘するように、「あらゆるかたちでマツコは、恥ずかしい姿も含めて『生き様』をさらけ出すこと、すなわち『ドキュメント自虐』を目指す(※)」から、「いい子」も「礼儀正しい」も、まったく見せてこなかったのである。
「YouTuber出身タレント」の危うさ
ここにマツコが炎上しない秘訣があり、逆にフワちゃんが大炎上を止められない元凶がある。加えて、「謝れば済む」と、フワちゃん本人は甘く見ていたのだろう。その自覚(のなさ)が、ネットユーザーがかねて抱いていた憎しみや違和感に、火をつけてしまったのではないだろうか。
これは、YouTuber出身タレントの抱える危うさにほかならない。味方だと信じていたユーザーこそが最大の敵に、一瞬にして立場を変える。いや、立場を変えさせてしまうぐらい、タレントとしての地位が不安定なのである。テレビ業界のコンプライアンス重視の傾向が、よくも悪くも強まるばかりのなかで、フワちゃんのように、無理のあるキャラづくりを求められるからである。
正直に言えば、フワちゃんを袋叩きにする状況が続くのは意外だし、褒められる内容ではないとはいえ、ここまで火炙りになるほどとは思えない。もちろん、リンチを肯定するわけにはいかない。けれども、ネットから生まれたスターは、その苦しみを飲み込まなければならないほど、危うい。そう考えるしかないのかもしれない。
※太田省一『マツコの何が“デラックス”か?』朝日新聞出版、2018年、207ページ