「不適切な発言」は本当にあったのか
5月18日、静岡県知事選での女性支持者の集会における上川陽子外相の発言が話題になった。「うまずして何が女性か」という発言の一部が見出しになり、出産しないと女性と認めないと言ったとされて猛烈に炎上したのだ。
私は一瞬「それはひどい発言だなあ」と思ったが、記事の中身を読むとモヤモヤした。いくつかの記事を読んで確認したが、発言の内容は「子どもを産むこと」ではなく「応援している候補者を知事として生むこと」を言っていた。
候補者を応援して知事にすることを、「生む」と表現すること自体はまあいいと思うのだが、「そうせずして何が女性か」との言い方は気持ち悪いなと思った。そこは非難されても仕方ないとは感じる。
だが、わざわざ記事にすることだろうか? ちょっとまずい言い方で、今どき男性だ、女性だとの言い方は「不適切」ではある。だが「不適切にもほどがある」とまでは思わない。むしろ、これを記事にして咎めるのは「不寛容」に思った。
「産まずして」? 「うまずして」?
逆に、この記事は見出しがおかしくないかと思った。「うまずして何が女性か」を抜き出して見出しにするのは、「子どもを産まないと女性と認めないと言ったぞ!」との意図でしかない。これは嫌らしい見出しだ。この見出しの方がよほど「不適切にもほどがある」と思う。
さらにいろんな記事を見た中に「産まずして何が女性か」と明らかに出産についての言葉と表現した見出しも見かけた。「産まずして」と「うまずして」が混在している。時系列を追うと「産まずして」が「うまずして」に変わっていたようだ。これは怪しいではないか!
つまり、最初は出産しないと女性じゃないと言ったことにしたい見出しだった。途中で「うまずして」に変えとこうと修正したように思える。それは「産まずして」は意図的に誤解をさせようとして書いた見出しであり、騒ぎになったのを見てやりすぎたと修正したのではないか? 言わば、見出しを改ざんしたのではないか?