要介護5の車椅子生活が開いた新しい世界

2017年に関節リウマチを発症しました。当時77歳。この年齢だから、そうした病気にかかるのも仕方ない、という思いもあり、生活態度を変えなかった。

けっこう飲み歩いたりもしていたんです。医者に処方された薬が効いていて、それに頼りきりになっていたというところもあったように思います。

19年の5月に、1週間の予定で、福島県の西会津にある温泉に出かけました。関節痛に効能があると言われる温泉です。関節痛を癒やすつもりで行ったのに、宿に到着したその日、入り口からホールに上がる10cmほどの段差に上がった途端、バランスを崩して後ろにひっくり返って転んでしまった。

当時は、用心のために、杖をついて生活していたのですが、それで体を支える隙もなかった。床はタイル張りです、頭を打ったら大変だと、とっさに頭部をかばうのだけで精一杯でした。このときに、床で腰を強打した。

その日はなんとか、痛みをこらえてお湯に浸かったのですが、2日、3日と時間が経過するごとに痛みが強まってきて、結局4日目の朝に宿から救急搬送されてしまった。診断は腰部の圧迫骨折でした。

ここから車椅子の生活です。その時点で要介護3となりました。

17年に関節リウマチになったときに、少しは生活を見直せばよかったのかもしれないけれど、19年に圧迫骨折をやらかすまで、今考えるとむちゃな2年間でした。その反省もあって、車椅子生活をすんなり受け入れることができました。その後は圧迫骨折が災いしたのか、関節リウマチが悪化して、要介護4になりました。さらに、今年の5月に要介護5の認定を受けました。

今の私がひとりでやれることは、歯磨きと食事、そしてパソコンとスマホの操作だけです。それ以外は妻やヘルパーさん、近くに住む次男夫婦の手を借りています。お風呂は週に2回、特別な浴槽を自宅に運び込む入浴サービスを使っています。

要介護5になってからは、ベッドで過ごす時間が増えました。

こちらがあまり動けないわけですから、何か条件が揃わないと世界は動かない。例えば来客があれば、自分の世界が揺れ動く。その揺れ動きを感じることが、意外に楽しみなんです。考えてみれば、こんな体になったことで、嫌な人間に会わなくても済みます。自分ひとりで、もうひとりの自分と対話をする。そうした時間の楽しみは、健全な体では思いもよらないことです。

先日、部屋の隅に虫を見つけました。1.5mmくらいの小さな虫です。なんだろうと観察していると、ハエトリグモの子どもだとわかった。こいつはどうやって生きているのだろう。窓を開けたら飛び込んでくるもっと小さな虫を捕らえて餌にしているんだろうな。

それからはその餌となる虫を見つけようと躍起になっています。こういうときに世界が揺れ動く。果物にたかるショウジョウバエを見て、この家の中でも彼らの営みがある。そうした発見は、今の私が小さな世界にいるからこそ受け取れる感動です。500円玉くらいの感動だけど、私にとってはとても大切な感動です。

私は、過去に執着しないことにしています。人は何かに執着すると、あのときああすればよかったとか、こうするべきだったと、思い悩んでしまう。過去には当然、良いことも悪いこともあります。執着し、それを引きずると、足が重くなって前に進めない。ただ、執着を断ち切るのは非常に難題です。失敗にはどうしても執着しがちです。でも、そのすべてを受け入れることが重要なのだと思っています。

私は、失敗が重なって車椅子生活になりましたが、今は受け入れています。失敗には学びがあります。失敗があったから今の自分があると受け入れる。

関節リウマチになったときに、それまでの人生を悔い改めて生活を改善していたら、今のような体になっていなかったのかもしれません。でも悔い改めて、過去の自分を否定してしまったらそれきりなんです。過去の自分を受け入れて、方針転換をすることはあるでしょう。でも過去を否定するような悔い改めは必要ありません。そして執着よりも、愛着を持つこと。私は今、前述したように少しずつ長編小説を描き進めています。まだまだ完成はしないけれど、もうすでに愛着が湧いています。過去に執着せずに、今に愛着を持つことも大切なのだと思います。