死ぬときに本当に後悔しない生き方
私の場合、膵臓がんかもしれないと言われたときに、そこで一回、自分の死を覚悟したから、その後、コロナが流行りだしたときも動じることはありませんでした。
「どうせ死ぬんだから、ジタバタしてもしょうがない。いつまで生きられるのかわからないのだから、旅行するのを控えたり外食するのを我慢したりするのはやめよう」と決めて、思った通りに行動しました。
たとえば80歳の人が、コロナが怖いからと行きたい旅行にも行かないで、そのまま亡くなることもありえるでしょう。それで、死ぬときに本当に後悔しないのだろうかと思います。
コロナにかからなくても、高齢者が外出もしないで家に閉じこもり、だれとも会話せず、不安を煽るようなテレビ番組ばかり見ていたら、筋肉も脳もあっという間に衰えてしまいます。
若いうちなら回復も見込めますが、高齢者の場合、引きこもり生活が長引くと、足腰や認知機能にダメージを与えて、結果的に「フレイル」と呼ばれる心身の虚弱状態を招きます。
フレイル状態になると、身体的・精神的な活力が低下し、病気にかかりやすく、ストレス状況に弱くなるとされています。
感染が落ち着いたからといって、どうぞ、旅行や外食を楽しんでくださいと言われても、それがすぐにできるほど簡単に回復できる状態ではないのです。
3年近くも自粛生活を強いられて、要介護状態に陥った高齢者
実際に、高齢者が3年近くも自粛生活をしていたために、足腰がめっきり弱って歩けなくなったり、転倒して骨折し、入院生活を余儀なくされたりするような事例は数えきれません。
私は、このコロナ自粛をきっかけに、200万人ほど要介護者が増えることになるだろうと推測しています。
高齢者や基礎疾患のある弱者を守るためという理由を掲げて、「コロナ死者を一人も出してはならない」というような無理筋の政策を推し進めた結果が、これです。
若い世代からは、「高齢者を守るために、大したリスクもない私たちが我慢しなければいけないのか」という不満の声も上がり、「高齢者は社会のお荷物」というような風潮が助長されました。
自粛などしたくない高齢者も外では肩身が狭くて、家に引きこもらざるをえなかった。
そして3年近くも自粛生活を強いられて、要介護状態に陥っていくのですから、高齢者こそがコロナ政策の被害者と言えます。
私は、高齢者が元気に生き生きと残りの人生を楽しむためのヒントになればと思って、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)や『80歳の壁』(幻冬舎新書)など高齢者に向けた一連の本を出してきました。
それらが多くの読者に受け入れられているのは、多少早く死んでもいいから好きに生きたいと望む人々の鬱憤が溜まっていたという要因もあるように思えてなりません。