どうせ死ぬんだから。好きなことをやり尽くそう

当時、「がん放置療法」で知られる近藤誠先生と本をつくるために何回か対談をしていたこともあり、がんが見つかっても、治療は受けないことに決めました。

手術や抗がん剤、化学療法を受けたりしたら、体力がひどく落ちて、やりたいことができなくなる。

その頃、抱えていた仕事もたくさんあったし、まだまだ書きたい本もありました。

膵臓がんといっても最初の1年くらいはそれほどの症状は出ないだろうから、とりあえず治療は何もしないで、好きな仕事を思いっきりしよう、金を借りるだけ借りてでも撮りたい映画を撮ろう、というふうに思ったわけです。

30代の頃から、人間はいずれ死ぬのだから生きているうちに楽しんでおかなきゃ損だとは思っていましたが、リアルに自分の死というものに直面して、残りの人生をどう生きようかと真剣に考えました。

そして、延命のためにがんと闘うのではなく、がんは放置して、残された時間を充実させようという選択をした。

「どうせ死ぬんだから、自分の好きなことをやり尽くそう」と開き直ることができたのです。

結果的に、いくつか受けた検査で、がんは見つかりませんでした。見つけられなかっただけなのかもしれませんが。

ただ、そのとき考えたことは、62歳のいまも私の人生観のなかに息づいています。

今日という日の花を摘もう

その話を近藤先生にしたら、ヨーロッパの格言通りの考え方だとおっしゃいました。

古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろという言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。

それは「今日という日の花を摘め」という意味で、要するに「死は必ず来るから、それはしかたないものと覚悟して、いまという時を大切に、楽しく生きなさい」と言っているのだ、と。

コスモスの花を持つ人
写真=iStock.com/Natt Boonyatecha
※写真はイメージです

まさに、私の思うところです。

どうせ死ぬんだから、と投げやりになるのではなく、人間の命には限りがあるのだから、自分の好きなように残りの人生を生きたい。死を見極めると、本当にやりたいことが明確に見えてきます。同時に、どうでもいいこともわかってくる。

だから、時間を無駄にすることもないのです。