「学習院に進むべき」とは思わないけれど…
ただ私には、その重責がなぜ「東大」に結びつくのかがよく分からないのです。さまざまな国民の声を振り切って、推薦入学に邁進されているように見えますが、これは何のためなのでしょうか。
悠仁さまが過去の皇族方の慣例を破り、学習院に進学されなかったのは、それほどおかしなことではありません。戦前の学習院は宮内省の傘下にあり、皇族の進学が義務付けられていました。
ですが戦後は一般の私立学校となり、皇族に進学の義務はなくなりました。それでも皇族が学習院に進む慣習は残っていたわけですが、悠仁さまのこれまでの進路は、それを破った「英断」でもありました。
もしかしたら、秋篠宮さまのお決めになったことでしたでしょうか。私は紀子さまご自身が、今も学習院を「お好き」で、大切にしていらっしゃると信じています。学習院女子中・高等科の施設内で私は、紀子さまが下賜された和歌が掲示されているのを拝見しました。
一般の方が入れない場所ですので詳細は申し上げませんが、色紙に達筆な毛筆で書かれた、女性皇族らしい目線でお謡いになられた内容に感銘を受けました。
学習院と雅子さまのご縁
そして学習院大学において、実は皇后の雅子さまも深いご縁があったことはご存じでしょうか。
1986~87年頃、私が在籍していた法学部の国際法の教授(故人)が、東大法学部在学中だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)をお招きした学生向けの講演会があったのです。
文学部でいらした紀子さまはご存じなかったかもしれませんが、教授が雅子さまのお父様で、外交官でいらした小和田恒氏と親しく、雅子さまをご幼少時から見てこられた、というご縁からでした。会場は国際関係の仕事を志す学生たちでいっぱいでした。
雅子さまは当時、外務省入省が決まったばかりでした。聞けば米国の著名なアイビーリーグの大学複数に合格され、その中からハーバード大を選び、国際経済学を学ばれ、卒論が優等賞を得るほど優秀な成績でご卒業。外交官を目指すために東大3年次に編入されました。この編入試験も相当な倍率だったと伺います。
そして外交官試験に合格。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時期でもあり、雅子さまは美人でバリバリのキャリアウーマン、外交官としての将来を語られるお姿には、眩しい位の存在感がありました。
私たち学生の拙い質問に分かり易く答えて下さり「本当に優秀な女性は違うなあ」と感じたことを覚えています。
彬子さまとオックスフォード大学「博士号」
そして三笠宮家の彬子さまは、学習院大学文学部在学中に交換留学でオックスフォード大学に留学され、大学卒業後に再度渡英、大英博物館における日本美術の研究のために5年間を費やし、博士号を取得されました。
その手記『赤と青のガウン』(PHP文庫)を拝読しますと、海外で日本のように護衛がつかない中、一人で生活を切り盛りし、少しずつ研究の道を切り拓かれていかれた様子がユーモア溢れる筆致で描かれ、読者をひきつけます。