※本稿は、藤澤志穂子『学習院女子と皇室』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
皇族の「学習院離れ」が進んでいる
学習院大学に進学しない選択をした皇族は、決して眞子さんが最初ではありません。読売新聞は2010(平成22)年1月7日付記事「[気になる!]皇族方 なぜ学習院離れ」で、このテーマを取り上げています。この記事によれば、最初は高円宮家の長女、承子女王でした。
承子さまは学習院女子高等科を卒業後、学習院女子大に進みますが退学。英エディンバラ大学に留学した後、2008(平成20)年に早稲田大学国際教養学部に1年生として入学します。戦後生まれの皇族で、留学以外で学習院以外の大学へ進んだ初めてのケースでした。
2009(平成21)年には高円宮家の三女、絢子女王(守谷絢子さん)が城西国際大福祉総合学部に入学。2010(平成22)年には眞子さんがICUに、悠仁さまがお茶の水女子大学付属幼稚園にそれぞれ入られました。承子さま、絢子さんの他校進学が多少なりとも影響した可能性はありそうです。
この記事でも説明されていますが、学習院は1884(明治17)年に宮内省所轄の官立学校となり、1926(大正15)年公布の皇族就学令で、皇族は原則として学習院で学ぶことが定められます。
戦後にこの就学令は廃止され、学習院は私立学校となりますが、引き続き、ほぼすべての皇族方が、幼稚園などから学習院のお世話になってきた慣習がありました。
「時代のニーズに応えられなくなっているのかもしれない」
それでも他校に進まれるケースが増えてきたのは、学習院で学べる内容が、必ずしも皆様方のニーズに合わなくなってきたことが推測されます。これは一般の生徒・学生にとっても同じことが言えるのかもしれません。
2010(平成22)年当時の学習院大学は文学部、法学部、経済学部、理学部の4学部で久しく新学部を設置していませんでした。いわゆる「伝統的な学部」であり、医薬や芸術、福祉などの分野を学びたい生徒が他大へ進学するケースは少なからずありました。