ご結婚前の紀子さまは、父の川嶋辰彦さんが学習院大学経済学部教授だったことで、当時、目白の学習院構内にあった教職員宿舎に住み、ご成婚当時は「3LDKのプリンセス」とうたわれました。

家賃は相場より格安、かつ教職員の子女が学習院に通う場合、学費は半額だったと聞きます。また川嶋氏の研究活動による渡米、渡欧では学習院を一旦休学、帰国後には、在籍して進学したのと同じ学年に戻れる制度があり、それを活用しました。

なお、秋篠宮さま(当時は礼宮文仁親王)に関しては、こんな「都市伝説」めいた話が学内では伝えられていました。殿下が学習院高等科から学習院大学に内部進学する際の成績の足切りラインが「その年だけ引き下げられた」らしいというのです。

学習院内で、付属の高校から大学への内部進学率は、現在は5~6割程度ですが、殿下が進学された1980年代は女子で9割、男子で7~8割でした。普段の成績に加え、推薦資格を得るための試験があります。その足切りラインのことだったようです。

ただこの話は、あくまでも都市伝説の類だったと筆者は見ています。当時の殿下は中・高等科時代、そして大学に進学してからも、家庭教師について必死に勉強されていたと聞いています。

国際基督教大学を諦めきれなかった佳子さま

学習院では成績が悪ければ義務教育の中等科でもかつては留年があったなど、進級・進学には厳格な規定があります。

筆者の同級生の中にも、中2や中3を2回経験したり、高校から大学に進学するための点数が足りず、他大や専門学校に進んだりした生徒がいました。同じ部活の憧れの先輩が落第し同級生となり、戸惑った同級生もいました。礼宮さまはもちろんそんなことはありませんでした。

佳子さまはいったん、学習院大学の文学部教育学科に進みました。2013(平成25)年4月に新設されたこの学科は小学校教員免許を取得することができるもので、佳子さまは一期生として入学したのです。

当然ですが一期生にはどの大学でも期待がかかり、志願倍率も高くなります。佳子さまにも将来は、児童生徒の教育に携わって頂きたいという期待が、学習院および秋篠宮家にもあったでしょう。

しかし佳子さまは2年生で中退し、ICUを受験して入り直しました。これについては「眞子さまの挑戦したICUのAO入試に失敗され、やむなくいったん学習院大学に進んだものの、諦めきれなかったそうです」という証言が、学習院OGの間から出ています。

万全の体制で迎え入れた結果、袖にされたのでは、学習院も立つ瀬がありません。学習院大学に進まず、浪人してチャレンジすることはできなかったか、とも思います。