愛子さまの長期欠席がもたらした影響

教育水準は高く、学費は私学より安い。将来の天皇が学ぶ幼稚園としては申し分ないようにも見えます。学習院で、皇族として定められたコースを進むより、より一般社会との接点を増やした人間関係を培うべき、と秋篠宮家が考えたとしても不思議はありません。皇室は時代に即して変わっていかなければ、という考え方もお持ちだったでしょう。

また、兄の天皇家の一件も頭の片隅にはあったかもしれません。2010(平成22)年には愛子さまが学習院初等科を長期欠席、宮内庁と学習院が3月5日にそれぞれ、このことで会見するという異例の事態がありました。

3月6日付の朝日新聞記事によれば、宮内庁の野村一成・東宮大夫(当時)が同級生の父母たちに問い合わせた結果「同じ2年の違うクラスの複数の男の子が、愛子さまを含む他の児童に乱暴なことをしていることがわかった」と説明。

いっぽうで学習院の東園基政・常務理事は「愛子さまを特定のターゲットにした直接的な暴言や暴力は一切ない。報告を受けていない」と説明。両者の見解はやや食い違っていました。これが「いじめ」だったのか、どの程度のものだったのかはわかりませんが、親の立場からすれば心配なのは当然でしょう。

現在の学習院は、戦前と異なり、皇族も一般生徒と同じ扱いです。学習院に入り、最初は物珍しく見えた皇族方のお姿も、次第に日常に溶け込んでいくというのが筆者の実感です。当然、普通の学校で起きるようなことは起きてしまいます。

ただ、見えないところで、教員や職員が受け入れに際し、宮内庁や皇宮警察、そして地元の警察署とも連携し、教育や警備などに細心の注意を払っています。過去、何代もの皇族方を受け入れてきた蓄積とノウハウは、他校にはないものです。

柔らかな日差しの入る教室
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです

皇族方を受け入れるノウハウがあるのに…

そうした環境の整った学習院を秋篠宮家が、あえて選ばなかった理由は明確ではありません。秋篠宮ご夫妻も、その後のご一家も深い縁があり、学習院側も気を配ってきたはずです。

一方、受け入れ態勢のない学校が、その準備にかける負担も並大抵のことではないでしょう。そうした周囲を慮る気持ちは、秋篠宮家にどのくらいあったのでしょうか。