1日150箱の桃を売った高校時代

「口下手な自分にプラスになると思って始めたバイトなんですが、僕は『天才桃売り少年』って言われるぐらい、桃を売るのがうまかったんですよ。いわゆるピーチ・ボーイズってやつですかね(笑)」

通常、1日あたり80箱程度しか売れない桃を、秋葉さんは最高で150箱売ったこともあった。なぜそんな離れ業ができたかといえば、大声を出さなかったことに勝因があったというから面白い。

「『桃いかがですかー、甘いですよー』って声を掛けて、お客さんが目の前に来てくれたら、もう大声を出す必要ないじゃないですか。ちゃんと聞こえるんだから。そこで、むしろ声を落として、『お母さん、こっちにめっちゃ甘い桃があるんだけど、箱で買ってくれたらこれと同じ値段にしますよ』って小声でささやくわけ。そうすると、『あなたにだけ特別にサービスしますよ』っていうメッセージになるじゃないですか」

八百屋の世界では、特定の商品を強気で仕入れることを「勝負する」と言う。秋葉さんは桃で勝負することを通して、口下手を克服したというより、相手の心理を読みながら会話する術を身につけたというべきだろうか。

撮影=小野さやか
アルバイトでは「完売したときの達成感」が嬉しかったという

電気会社を1年余りで退職し八百屋の道へ

数学が得意だった秋葉さんはトップクラスの成績で高校を卒業すると、実家の近くにあった一部上場の電気会社に就職を決めている。両親はとても喜んでくれたが、入社からわずか1年余りで退職してしまったという。なぜか?

「とてもいい会社でね、同期の仲間とはいまでも付き合いがあるんですが、敷かれたレールの上を走っている気がして、俺、このままでいいのかなって……。八百屋でバイトをしていた時は暑いとか寒いとか感じたし、品物自体に季節感があったし、目の前でお客さんが喜んでくれたりね。なんか、そっちの方が僕には合ってる気がしたんですよ」

電気会社をあっさりと辞め、バイトをしていた八百屋に舞い戻った秋葉さんは、今度は正社員として雇用され、市場での仕入れから値付けまで、八百屋に関する仕事のすべてを猛烈な勢いで吸収していった。やはり、八百屋は天職だったのだ。

やがて、自著『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった』(扶桑社)のタイトル通り、自ら八百屋を経営したいと考えるようになるのだが――開店までの奮闘ぶりは同書に譲るとして――「話し方」という意味で興味深いのが、市場の卸売業者の売り子との会話である。雇われていたときと自分の店を持った後では、話し方がまったく変わってしまったというのである。