ビジネスの奥底にある可能性を開く

仮に片方を「なし」にしたらもう一方が良くなるような、二つの互いに関連し合うビジネスを見つけてみよう。

チャック・ウィリアムズが「ウィリアムズ・ソノマ」を、まさにこのやり方で始めた。

20年前、料理道具は金物店か百貨店で買うものだった。ウィリアムズ・ソノマは創業の頃、良質の料理道具「も」置く金物店っぽい顔をしていた。

やがて金物類の扱いをやめ、料理道具オンリーにした。コピー業者が多く出たが、いまやウィリアムズ・ソノマはその世界で追随を許さないリーダーとして君臨している。

スミス&ホーケンも同様の戦略をとった。園芸店は道具、備品、書籍、装飾品などを重要視していなかった。特にぼくたちが市場参入する直前など、園芸店はあたかもファストフード店のようなマインドになってしまっていた。

たとえばこんな具合だ。植物をモノのように扱い、植物の色を「売り」にしたりしていたのである。「今年の流行色はこれ」みたいなノリで。これだと毎年植物を変えなければならない。

園芸ビジネスにおける「丈夫で長持ち」という側面がなおざりにされたのである。商品に注ぐ努力も、顧客に注ぐ情報やアドバイスもお寒い限り。

そこでぼくたちは園芸ビジネスの池で泳ぐ醜いアヒルの子を抱き上げ、面白いものに変えたのである。

1ダースもの国々を訪ね、道具、テラコッタ(粘土を成形して乾かし、その後高温で焼いたもの)、書籍、器具、機械、機器など、庭を楽しく、働きやすく、目にも楽しいものに変えてくれる商品たちを探し歩いた。

やがて園芸店から、ぼくたちの商品を扱わせてほしいとの依頼が何百とくるようになった。当然のことだよね。

古びたビジネスのお色直し

ビジネスも、古い家のように、時に一部が剥がれ落ちたりする。こうなる理由は、ある種のビジネスが成熟し、成長の見込みがなくなったから。

あるいは、大きな全国チェーン店やディスカウント店の進出で脇に追いやられたとき。商品ラインがあまりにありふれた平凡なものになったとき。

ダイナーやドライブインといった業種は60年代、70年代の遺物であり、アナクロニズムの権化だ。ファストフードやコンビニに追いやられてしまった。ところがまた復活した。

車まで注文を聞きに来てくれるスタッフ(カーホップ)、輝くジュークボックス、シェイク、ダブル・フライといったおなじみの食べ物。これらの「懐かしい」演出のおかげだ。

ぼくは、時代遅れだが行き届いたサービスの金物店は必ず受けると確信していた。場所は、古い家々が立ち並び、ボートの艇庫があるようなエリア。

そういうところに住む人は、自分の手を使って働くのが好きだから。オールド・ニューヨーク・ブリューイングは自分の醸造所の中にレストランを造った。英国やドイツでは昔からよくあるやり方だ。

スミス&ホーケンの小売店で少しずつ試しているのは、フルサービスの園芸の再創造(リ・クリエイト)だ。植物の世界は複雑なので、おそらく何年もかかるだろうが、大規模な栽培者からではなく、比較的小さめのところがいいと、丁寧に探した。

条件は、健康的な種を育ててくれる栽培者。たとえば、かぐわしい香りのバラ、甘い香りのクレマチス、きれいに揃ったラベンダーなどを提供してくれる。

ポール・ホーケン『ビジネスを育てる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

こういった栽培者たちは現在、近代化と便宜至上主義(コンビニエンス)の流れによって脇に追いやられてしまっている。

ビジネスを育てるプロセスの中で、ぼくたちは自分たちと顧客の両方を教育していった。

当時支配的だった一年こっきりの単年生育や色の鮮やかさ志向を、何年もじっくり育てる多年生植物、そしてそれと繊細に溶け込む景観作りの園芸に変えようとしたのだ。

これは国にさかのぼる園芸のやり方だが、時を超えた魅力を放っていると思う。

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