アーティストも鑑賞者も「難問」を突きつけられている
日常的なありふれたものを複製したり、再構成したりすることで「芸術の唯一性(アウラ)」を否定しているのです。これは、既製品を表現の素材とする手法「レディ・メイド」と呼ばれ、マルセル・デュシャンの代表作『泉』やアンディ・ウォーホルの『キャンベルスープ缶』の直系の子孫ともいえる立ち位置です。芸術を大衆化するという考え方は、みな同じです。
しかし、作品が高額だからといって、偉大な芸術作品というわけでもありません。現実の虚構性を浮かび上がらせているようにも見えます。著作権侵害訴訟が世界中で繰り返され、炎上する度に有名になり、価格がつり上がっていくという奇妙な構造も、ジェフ・クーンズらしい表現です。
物質社会を風刺するパロディーなのか、ゴシップ様式のアートなのか、それとも崇高な現代美術なのか。アーティストも鑑賞者も社会の常識やルール、スノビズム(俗物主義)とどう向き合っていくべきなのか、という難問を突きつけられているのです。
作品が高額だから偉大な芸術作品とはいえない。スノビズムとどう付き合うかが問われている。