知らない誰かだけを説明するのではなく、それをとりまく感情や印象も同時に記述することにより、単に登場人物のディテール紹介に収まらないことが内輪感の除去につながる。

それによってそのあとに続く文章へと引き込んでいくのだ。それは読者を引き込むというよりも、書く本人を引き込んでいくイメージに近い。

ドラクエVのビアンカ・フローラ論争を書く時にこだわったこと

例えば、本書で公開した僕の最低最悪のデビュー日記「10/22おつかい」。これにも内輪を感じる要素がある。

冒頭、上司からおつかいを頼まれて5千円を貰い受ける記述から始まるが、ここで著者と上司の関係性に関する記述が一切ないのである。ただ突然におつかいを頼まれるのである。

もちろん、その背景を読む人に想像させる手法もあるのだけど、これはそこまで高度なわけではない。

文章の雰囲気から感じるに、この「おつかい」の著者は上司のことをあまり良く思っていない。少しバカにしている感じすらある。書いた本人だからわかる。

そんな上司におつかいを頼まれた、この情報が共有されていると、その後の5千円を落とした不幸な出来事がより印象深くなるのである。だから、この文章は、最初に上司との関係性を述べて、あまり良く思っていない記述を入れることで内輪感が取り去られ、ぐっと中に入りこんでいけるのである。

もっと具体的な例を挙げてみよう。

ドラゴンクエスト、いわゆるドラクエのことを扱った文章を書くとしよう。というか、書いたことがあった。電ファミニコゲーマーという大手ゲームサイトに僕が書いた、「思いっきり感情移入しながら『ドラクエV』をプレイしたら絶対にビアンカを選ぶ」という記事だ。

ドラクエVでは物語の中盤に結婚相手を選ぶイベントがあり、これがビアンカ・フローラ論争としてしばし火種となる。

「おじさんの懐古」と思われないための工夫

中学生のときに、フローラを選んだことで同級生から謂いわれのない迫害を受けた僕が、大人になったいま、さまざまなことを振り返りながらビアンカを選ぶために感情移入しながら『ドラクエV』をプレイしていくというものだ。

この記事の冒頭、丁寧すぎるほどにドラクエおよびドラクエが起こした社会現象、さらには『ドラクエV』に関する説明が入る。