抽象度の高い言葉を伝え、そこから具体的なことを自分で考えてほしい
先ほど、小島和哉投手が調子を落としているとき、個別ミーティングを行ったと書いた。そのとき、私は彼にこんな言葉を投げかけた。
「音楽にたとえるなら、楽譜をきれいに弾いているだけの投球に感じる。音楽は、少し音が外れていても、情熱を込めた勢いのある演奏のほうが、相手の心に響くことがある。それは、ピッチングも一緒だと思う」
私は、小島投手にもっと大胆になってもらいたかった。慎重になりすぎて、フォームも雰囲気も窮屈になっている。どこに行くかはボールに聞いてくれというぐらい、振り切って投げてほしかった。それを伝えるのに良い言葉はないか探していたところ、中学生のころから弾いてきたギターのことを思い出し、この言葉になった。
別の機会には、競走馬の写真を見せ、話をしたこともある。
「この馬知ってる? ツインターボ。とにかく逃げる馬。いつも大逃げを打つ。結局、ゴールまで体力がもたなくて負けることもあるけど、そのまま逃げ切って勝つこともあったんだ。それくらいの入り方でもいいんじゃないか?」
これも、慎重になりすぎていた小島投手に、後先考えずに疾走してほしかったからだ。競走馬の例は伝わりにくかったかもしれないが、意図は伝わったと思う。
選手は、自分で主体的に考えていても、誰かが背中を押さなければ踏ん切りがつかないこともある。それこそが、監督の仕事だと思う。そもそも、人前でみんなを鼓舞するために立派な言葉を引用して話すのは得意ではないし、自分でも恥ずかしい。できればやりたくないが、監督の役目なのでいろいろなところから引っ張り出して伝えている。
監督が発する言葉の力は大きい。
ただ、良い言葉を伝えただけでは、選手に残らない。ちょっと変わったこと、引っかかることを言わないと「また、監督が何か言っていた」で終わってしまう。
「あれ? どういうことなんだろう?」
その「引っかかり」を選手に与え、そこから考えさせ、自分なりの答えにたどり着くことが重要なのだ。言葉を探すときは、引っかかりのある言葉からこういうことを考えてほしい、こういうふうに動いてほしいと想定して選ぶ。
その時点で言わなければならないこと、言いたいことに照らして、言葉を探し続けている。もちろん、人によってとらえ方が違うので、実際は想定通りにはならない。それでも考えるきっかけになってくれればいいと思っている。
方向づけをしたいときは、抽象度の高い言葉を選ぶ。そこから、具体的なことを自分で考えてほしいと期待する。やらなければならないことは、基本的に毎年変わらないから、言葉選びの本質は基本的に変わらない。