この時、加藤に協力していたのがやはり自身の率いる派閥を持つ山崎拓だった。加藤と山崎は小泉純一郎を加えた3人で、それぞれの頭文字を取った「YKKトリオ」として自民党の次世代を担うリーダーと目されていた。だが、山崎は加藤に同調した一方、冷ややかに見ていたのが小泉である。小泉は清和会(森派)に所属していたこともあり、乱には加わらなかった。吹き上がる加藤、山崎に同調することなく、状況を見定めていたのである。

この「加藤の乱」は、その後のYKKの命運を分けることになった。加藤・山崎は派閥も自身も党内で急速に力を失った一方、翌01年春に森内閣の後継を争う総裁選に出馬した小泉は総裁に選出され、5年にわたる長期政権を築くことになったのである。

なぜ加藤は「裏切り」である倒閣運動が成功し、自身が総理の座に就けると考えたのか。その理由を、中曽根は実に的確に言い表している。「加藤君はインターネットという星空にうっとり目を奪われて、足を泥に掬われ、泥沼に落っこちてしまった」

つまり、加藤は当時使われだしたばかりのインターネット上で自身を支持する声が大きかったことで、「自分の行動は議員らにも、国民にも支持される」と信じ込んだようなのだ。だが激しい切り崩し工作に遭い、まさに足を掬われる形で瓦解することとなったのだ。

裏切られたら次の次の次の展開を読め

こうした政治における「裏切り劇」から何を学ぶことができるだろうか。何よりも情報の重要性である。角栄はおおらかな人柄で知られ、自身が率いる派閥も温かい雰囲気で、議員同士の関係も家族のようだったとさえいわれる。だが、だからこそ、身内からの裏切りに気付くことができなかった。「勉強会を開く」という情報は竹下から直接もたらされていたが、それを分派活動、クーデターであると判断する能力が鈍っていたのである。

一方、加藤の例でいえば、情報漏洩を防ぐのが危機管理の要諦であるにもかかわらず、自ら口外していたのだから話にならない。「料亭政治」は政治家の特権とみなされ国民からすこぶる評判が悪くなり、今では姿を消した。だが、かつて政治家が料亭で会合を重ねた一番の理由は、「相手が自分を裏切っていないか」を確認する場だったためだ。顔を突き合わせ、酒を飲みながら話をすれば、自分に対して相手が嘘を言っているのかいないのか、つまり裏切りの兆候がないか、感じ取ることができるのである。

政界ではなおのことだが、職場でも人間関係の把握は最優先事項だ。他部署の同僚にこぼした上司の愚痴が、普段の勤務からはうかがい知れない同僚と上司の関係性から漏れることもある。

では、自身に対する裏切りが発覚した時にはどうすべきか。これは相手との力の差を測り、次の次、さらに次の展開まで読んだうえで自分にとってプラスになると判断できる材料がそろって初めて、裏切った相手への攻勢に出るべきだろう。一時の怒り、裏切られたという無念さに任せて感情で動いてしまうと、手元に残っているものまで失いかねない。角栄の場合は相手勢力の切り崩しには成功したが、自身の寿命を縮めることになってしまった。

裏切りが成功するには根回しと準備、そして首謀者の強い意志とタイミングを計る力も必要になる。こうしたものが相まって、政界全体、国民をも巻き込んだ社会全体の大きな変化に波及する。組織内の駆け引きが互いの切磋琢磨を生み、結果として全体が磨かれることもあるのではないか。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月2日号)の一部を再編集したものです

(構成=梶原麻衣子 写真=時事通信フォト、PIXTA)
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