ところがその後、事件が起きる。中曽根康弘政権末期で、次期総裁が取りざたされていたさなかだ。竹下、宮澤喜一、安倍晋太郎の3人が争う中、右翼団体「日本皇民党」の街宣車が執拗に「金儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう」と国会周辺で放送して回ったのである。いわば“ほめ殺し”で、角栄を裏切った竹下に対する嫌がらせだったのだが誹謗中傷には当たらず、警察も取り締まれない。そうこうしている間に、竹下はストレスで円形脱毛症になってしまったのだ。

何とかしなければならない、と金丸が暴力団との関係の強かった佐川急便の渡辺広康に仲介を依頼。さらに暴力団の稲川会・石井隆匡へ日本皇民党への働きかけを依頼し、竹下が田中邸へ直接謝罪に行くことをもって街宣を止めるとの話でまとまったという。