「100年前の津波の到達地点」が一目でわかる

「ブラジルでは考えられない」とジャロウィツキ氏が感銘を受けたもののひとつが、日本では過去の災害の「爪痕」を実際に残し、現在の教訓としている点だ。

鮪立の八幡神社参道の脇には、今から約1世紀前の1933年の昭和三陸地震で発生した津波の脅威を今に伝える石碑が建っている。「地震があったら津波の用心」と彫られたその石碑は、かつての津波が達したおおよその位置に備えられており、311の津波もほぼ同じ高さまで襲ったと避難した住民から聞いた。

写真=ジャロウィツキ氏提供
昭和三陸地震の津波を後世に伝える石碑

日本の多くの被災地では当たり前のように「津波到達地点」を示す看板が設置されているが、こうした「当たり前のインフラ整備」がブラジルではできないのだ。

写真=ジャロウィツキ氏提供
鮪立を襲った津波の境界線を地図に書き込む作業。左がジャロウィツキ氏

「日本の災害対策には驚かされることばかりでした。災害に対するモニタリングと早期の警報は、素早く市民に警戒を促すだけでなく、それにより国や自治体が早期かつ適切に対策を講じられます。小さな漁村の鮪立でも町中の拡声器から地震の強度や津波の有無を伝えていたことが信じられませんでした。また、家屋・インフラの被害と死者数を最小限に抑えることができるのは、子供からお年寄りまでを対象に防災の教育と訓練が行き届いているからでしょう。地震が多いことを念頭に、国家レベルで準備ができていると思います」

防災の先頭を担うリーダーがいない

ジャロウィツキ氏が抱いた印象は、日本で暮らす人にとっては当たり前のことだろう。しかしブラジルを含めて災害への予防や対策が徹底できている国は世界には少ないのだ。

漁村である鮪立では住民の大半が漁業組合で働いている。それでも、気仙沼市の指導のもと住民が率先して主体的に復興委員会を設立し、道路検討部会、港湾整備検討部会、集団移転等検討部会という3つの部会を組織して、復興に向けて速やかに歩み出したことにジャロウィツキ氏は驚いたそうだ。

「ブラジルには防災の文化が根付いていないため、地域社会における緊急時の役割分担と責任が不在です。政府機関への不信感が蔓延していることもあり、コミュニティリーダーが育成できていない場合が多いのです」