北野さんはその時のことを振り返る。

「100円じゃなくて? いやいや、それ無理ですよってなったんです。一杯1500円のお茶なんて、誰も来ないでしょと。当時は一杯のお茶に400円、500円を取ることも嬉野ではなかったので」

永尾さんも鮮明に覚えている。

「皆、ポカーンですよ。私たちの感覚としてはお茶にお金を出すはずがない。そこから議論がスタートして、お茶菓子つけても一杯200円とか300円ぐらいが限界じゃないのっていう話をしました。すると小原さんが『いやいや、農家が自分たちで作ったお茶をその場で淹れて出すカフェなので、一杯1000円は下りませんよ。全然いけます』と自信満々に応えるんです。でも、お茶にそんな価値があるわけない、今までは旅館などでもタダで出しているものに誰が払うのかと思いました」

茶農家からは生まれなかった新発想

売れる、いや売れない。押し問答が何回かあった末、お茶と一口菓子のセットで800円にすると決まった。

度肝を抜かれたが、小原さんの発想は、まさに北野さんや永尾さんが待ち望んでいたものだった。

「ずっと安価でしか売れないことに悩んでいたから、お茶の新しい価値を作ろうという点に共感しました。しかも1500円で売るという発想は僕らからは生まれなかった。茶業界関係者だけで話していても、きっと辿り着けない領域で、そこまでのクオリティを出せなかっただろうなと感じました」(北野さん)

張本人である小原さんは、なぜこのプロジェクト「嬉野茶時」を立ち上げようとしたのか。それは廃れゆく嬉野の街を見るに、地元に恩返ししたいという気持ちがあった。

筆者撮影
和多屋別荘の小原嘉元社長。2013年に3代目社長に

「嬉野は温泉で儲かった街。その一番の恩恵を受けたのが旅館です。うちは創業73年ですけど、数十年以上も続く宿はたくさんある。ここでは絶対に旅館が段違いに儲かっているんですよ。だからこれからはそこが稼ぐ装置となって、お金を地域に還流するべきだと思いました」

「質で勝負すれば、高くても売れる」

さらにいえば、長年その旅館がお茶を安い価格で大量に仕入れていたという負い目もある。嬉野が数百年にわたって積み上げてきた文化や歴史などの価値を正しく評価する。小原さんはそう考えるようになってから、うれしの茶に対する見方も変わった。

だからと言って当然、ただ値段を高くするだけでは売れない。そこで他では味わえない世界観を創出しようと考えた。具体的には、生産者自身が客の目の前でお茶を淹れること、茶器として使用するのはこだわりの肥前吉田焼、そして生産者は純白のコスチュームを着て統一感や品の良さを出すこと。

準備期間わずか3カ月という突貫工事だったが、各自がクオリティを高めるために努力をした。こうしてオープンにこぎつけた嬉野茶寮は、蓋を開けてみると、3日間で320人ほどの客が集まり、約80万円の売り上げを上げた。市外からの観光客がメインだったというが、値段よりも高級感や体験の希少性などに惹かれて来店していた。小原さんらの狙いは見事に的中した。

「質で勝負すれば、高くても売れる」。生まれたばかりの新生プロジェクトによって、うれしの茶の潮目が変わり始めた瞬間だった。