「同級生も亡くなったということもあります」

――お二人を動かしているものは何ですか?

【伊達】10年やってきた僕らの原動力は故郷ということもあるし、同級生も亡くなったということもあります。でも、震災の直後から始めた東北魂義援金の口座に、全国から多くのみなさんにずっと入金していただいていることも原動力です。毎年命日に振り込んでくださる方とか、僕らは信用されて大事なお金を預けてくださるんだなあと。だから頑張らなきゃという思いが当然強くなります。

――これまでの被災地の活動で印象に残ったことは?

【伊達】僕が印象に残っているのは、震災直後に南三陸町に行ってたんですが、そこに千葉ナンバーの軽トラックに乗った年配の方がボランティアで来られた。テントや支援物資も積んで南三陸町で1週間ぐらい活動されたんですが、帰るときに「この軽トラどうぞ使ってくれ」と置いていったんです。どうやって帰ったのかなと。

――鉄道もダメだったから、どうされたんですかね?

【伊達】みんなで言ってたのは歩いて帰ったんじゃないかと。

「ペットを亡くしたことをずっと話せなかった」

【伊達】でも、この10年間そういうボランティアとか絆というのをすごく感じるんですね。

あのときそのおじさんの好意を受けた南三陸町の人が、今度は熊本地震のときに自分の軽トラで熊本に向かったりとか。僕の実家のガスの修復をやってくださった方は大阪ガスのみなさんたちだったんですが、聞いてみると「阪神大震災のときに仙台から応援に来てくださった。来るのは当たり前」と。

恩返しの恩返しというのか、辛いことも多いんですが、その絆というのに感動しました。

【富澤】震災から1年後ぐらいでしたか。お会いした女性がペットを亡くしたことをずっと話せなかったって打ち明けてくれたんですね。

自分よりひどい思いをした人がいっぱいいる、家族を亡くしたり。ただ、この方にしてみればペットは家族ですよね。でも、そうやってお互いに話せなくなってるんだなあと。

時間が経って少しずつ話せるようになってきたかもしれませんが、心にしまってきた人が多い。これから先もそういう方たちはどこかで吐き出さないといけないんじゃないか、それが課題じゃないでしょうか。その地域の人じゃないボランティアの人には話せるかもしれませんね。

――心の問題ですね。

写真=iStock.com/Adam Calaitzis
「ペットを亡くしたことをずっと話せなかった」(※写真はイメージです)