「父・娘・皇子」が手をとり合うのが理想的

【永井】道長から見れば甥だけど、その子は道長の養子分になって出世するんですよね。それでも道綱は知らんぷりなの。しかし、道綱が冷たいというより、これが当時の父と子の関係であったらしい。

【杉本】今でも、結婚問題というと、イニシアチブをとるのは女親よ。

【永井】そうね、輝かしい伝統かな、これは。

【杉本】どこの馬の骨かもわからないわたしの家なんかでも、今、私という時点で見た場合、父方の親戚とはほとんど音信不通で、行き来しているのは母方の親戚よ。

【永井】おもしろいわね。それでしかも、一人の女が中心になって、その兄弟、娘たちが手をつなぐでしょう。道長も非常に恩恵をこうむっている。道長を引き立ててくれるお姉さんの詮子せんしは円融天皇の后になっていて、唯一人の男の子を産むんです。これが一条天皇になるんですが、一条天皇の時代はお母さんの詮子、そのお父さんの兼家がいるわけ。これが摂関体制の理想的な形なのね。

【杉本】三拍子そろってる。

【永井】父親がいて、娘がいて、その子供が天皇である。理想的「ジャンケンポン型」ね。一方的に強いものはいないんだけど、三者が手をとりあって行くのが一番いいのよ。

姉・詮子が道長を贔屓した理由

【永井】この兼家が死ぬと、道隆。これは詮子のお兄さん。一条天皇の后に定子を入れるけれど、さっき言ったように、定子に子供ができないうちに死んでしまう。その次がその弟の道兼。これが疫病にとりつかれて7日で死んでしまう。そこで、長男の道隆の息子の伊周がなるか、あるいは末弟の道長に行くか、その分かれ目に詮子がすごく頑張るんです。息子の一条天皇のベッドルームに入っちゃって、「どうしても道長にして下さい」と頼んで。

【杉本】あのときの東三条院詮子の道長贔屓はすさまじいわね。頑張りの裏に何があったんだろう。

【永井】伊周は甥であるけど、母親は高階貴子きしよ。藤原氏じゃないのよ。だから伊周がなったら、高階氏が威張りだす。

杉本苑子、永井路子『ごめんあそばせ 独断日本史』(朝日文庫)

【杉本】それじゃ、困る。

【永井】だから、定子や伊周は詮子の姪や甥だけど、彼らに対する愛情はあまりないのよね。

それからもうひとつ。道長は、詮子が可愛がっている養女の明子めいしを、第二夫人としてせしめちゃうの。それが道長の女運のいいとこ。

【杉本】明子は、詮子が「貰いなさい」と強力にすすめたんじゃないかしら。

【永井】兄貴たちは浮気でいけないと、近づけなかった。そこへ道長がモーションをかけていったらしいわね。

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