藤原氏繁栄に付きまとう「失火」と「病死」
【永井】でも、ある意味ではもともと歴史には非常に偶然がある。戦後なんて、上層部が追放されたおかげで出てきた政治家がたくさんいるじゃない。
【杉本】戦犯やパージにひっかかって目の上の瘤がとれたおかげで、第二世代が浮上してゆけた。
それと、疫病ね。奈良朝末から平安朝という時代を考えるとき、流行病が歴史に及ぼした影響を度外視できない。藤原四兄弟(不比等の息子の武智麻呂、房前、宇合、麻呂の兄弟。それぞれ南家、北家、式家、京家の祖)が次々と死ぬとか、道長の時代に赤疱瘡の流行で要路の顕官が何人も死ぬなど、政局を変える大きな原因になっている。これも偶然。当時の医学知識では手の打ちようがないじゃない?
だけども、そういう偶発的な事件の間を縫いながら、失火に見せかけた放火だの病死に見せかけた謀殺といった人為も働いている。例えば安和の変(969年、醍醐天皇の皇子、左大臣源高明が藤原氏の陰謀で大宰府に左遷された事件)の直後に源高明の家が焼けたでしょ。
中関白家事件(伊周の女のもとに通っていると誤解された花山法皇に、伊周の弟隆家が帰路を待ち伏せて矢を射かけた事件。内大臣伊周と権中納言隆家は流罪とされ、道長の権力が確立する)のときに定子(一条天皇の后、伊周の妹)の住居が焼けたのもそうだし、三条帝が退位する(外孫の敦成親王=後の後一条天皇を天皇に推し、摂政となろうとする道長は様々のいやがらせをして三条帝を退位に追いこむ)直前に内裏が焼けたなどという事件も、失火で片づけるにはうさん臭すぎる。
あらゆる手段でライバルをいじめ抜いた
【永井】そう。それで、内裏が復旧したら退位すると言っていると、できた途端にまた焼けちゃってね。惨めな恰好で退位する。
【杉本】これでもか、これでもかといじめる。その、いじめの手段の一つに、政敵の屋敷を火にかけてしまうプランが組み込まれているわけよ。それから、病死に見せかけた毒殺。病死にしては実に怪しい、一服もったんでは、と思われる例がいっぱいあるでしょ。
【永井】そう、そう。
【杉本】それから、流言、呪詛、怨霊の利用。
【永井】今でいう情報宣伝戦ですよ。ソ連が攻めてくると脅して世論づくりをするとか。それをもう少しおどろおどろしくして、怨霊。言ってみれば、「スターリンの怨霊が……」というのと同じことなのね。(笑)