断られた提案を再検討してもらう
【TECHNIQUE】他社に提案し、実績をあげるしかない
このご質問に対する答えは1つだけです。他社に提案を持っていき、他社で実績をあげる。これしかありません。『もしドラ』が150万部売れたいま(※雑誌掲載当時)、私は「行列のできる出版相談所」状態になっています。「売れないから」という理由で断られた小説も出版が決まりました。かつて出版を断った編集者たちも、「うちで本を出してくれないか」とお願いに来ています。
このように他社で実績をあげ、自分の正しさを証明するのです。
10年前に小説の出版を断られたとき、私はいつか必ずぎゃふんと言わせてやろうと思いました。そもそも「この恨み晴らさでおくべきか」が私の1つのキーワードです。
ダイヤモンド社から本を出さないか、それも小説を出さないかと言われたとき、真っ先に浮かんだ言葉が「ここで会ったが100年目」。ここが私の恨みを晴らすところだと、これまでに蓄積してきたあらゆる知識やテクニックを総動員して書きました。『もしドラ』を出版する前から、私は修業のために大量の文章をブログに書いていました。習慣化が大事というのが私の持論で、呼吸をするように書く間合いをつかもうとしていました。
平均すると原稿用紙で1回10枚くらい、仕事が終わってから書きました。一番大変だったのは仕事でもブログでも文章を書き、なおかつ『もしドラ』も書いていた時期で、三重苦みたいになって「いったいどこまで書けばいいんだ……」と思ったこともあります。
そんな生活を送った2008年から09年にかけて、俺が一番たくさん日本語を書いたという自信が生まれました。最も量を書いた人間が、少なくとも下手なはずがない。
実際、私のブログは、はてなダイアリーというブログサービスの中で、1年で最もたくさんブックマークを付けられ、前述の通り『もしドラ』出版のきっかけも生まれたのです。
昔、秋元康さんが「俺は壁を乗り越えたことはない。壁に突き当たったら横にずれていく」と言っていて、なるほどと思ったことがあります。ずれていけばどこかで壁がなくなるから、そこを突破していけばいいと。
断られた相手を深追いするのは時間のムダで、それより別の道を探したほうがいい。私にとっては、それがブログだったといえます。
作詞家・秋元康氏に師事し、放送作家として活躍。著書『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』が大ヒット。