「家庭のタブー」から逃れられる社会
「僕視点で母を単体で見れば、そう悪い母親ではなかったんじゃないかと思っています。母にも原因はあるけれど、父や兄が強過ぎた。あの家庭の中で、一番苦労したのは母だということを分かっていました。だから苦しんだ。でも、母がどれだけ大変であっても、僕だって『助けて!』『守って!』という気持ちがありました。もちろん今さら、『助けろ!』『守れ!』などと言うつもりはありません。『頑張ったよね。助けてほしかったよね』と、自分の気持ちを受け入れることが大切だと気付いてから、少しずつ心の傷が癒えてきました」
知多さんは20代後半の頃、睡眠障害に悩まされてコンビニを辞めた。病院にはかからず、代わりに自分と向き合う作業に取り掛かった。「その日の感情が上下した出来事」をメモ書きし始めると、自分自身に興味が湧いてきて、過去の記憶の書き起こしも始めた。
兄にされた酷いことを思い出すのは嘔気がするほどつらかったが、自分なりに掘り下げ、過去の自分と現在の自分と対話していくうちに、いつしか認知行動療法のような形になり、問題を解決する力に育っていた。
「今はもう、家族への憎しみはかなり薄れています。ですが、仮に会う機会があっても会いたくはないです。聞いてみたい話はあるのですが、今の平穏を崩すくらいなら接触は避けたいです。それでも、母のことだけは嫌いになれません」
筆者はこれまで夫婦や親子間のDVが絶えない多くの家庭を取材してきた。その経験から言うならば、知多さんの母親は、兄に対する自分の罪悪感と子どもたちの教育とは切り離して考えるべきだった。それができれば、兄にも知多さんにも、もっと違った人生があったのではないか。
アルコール依存症で鬱の父親はその兆候があった段階で、本人が拒否しても家族がただちに医療機関につなげ、早急に手を打つ必要があった。
一方、兄が暴力に訴えたことは決して許されることではないが、彼も苦しんでいたことは明白。兄のみならず、知多さんも被害者だ。
では父親と母親が加害者なのかと言えば、それも違う。夫の仕事の都合で故郷から遠く離れた土地で暮らすことになり、1人で子育てに追われたうえ、夫が働かなくなるなど、困難に直面し続けた母親には、同情すべき点は多大にある。もしもそばに相談できる先、頼れる先があったら、知多家は崩壊せずにすんだかもしれない。
親とて完璧な人間などいない。2004年のイラク人質事件以降に広まり、最近では大リーガーの通訳による事件でも度々目にした「自己責任論」だが、もっと「助けて」と言いやすい社会に、また、「助けて」を言う先が見つけやすい社会にならなければ、日本はむしろ自分たちで自分たちの首を絞める“生きにくい社会”になっていく一方なのではないだろうか。