中国を「脅威」ではなく「懸念」と呼ぼう

このようなチャイナスクールの伝統的な行動様式、言動は、南シナ海や東シナ海で国際法や外交常識を無視した威圧的な振る舞いを繰り返し、軍事予算を幾何級数的に拡大し軍事大国を目指している中国の有様を目の当たりにして、相当に影を潜めてきたことは確かだ。若い世代のチャイナスクールの間では、お題目の如く「日中友好」を唱えたような経験はもはや無縁であり、今の中国に対して冷静、現実的に向き合おうという姿勢が顕著になってきたように感じる。

しかしながら、なおも尻尾は残っており、時折その姿が浮かび上がってくることがある。

前述の「中国のために働く」とのたまわった中国課長から数代後の課長の時だった。

この中国課長は、省内他局、他課の課長に対して、「中国は脅威ではありません。せいぜい『懸念』と呼びましょう」などと省内会議で呼びかけたのである。

百歩譲って公の場で「脅威」と言い募ることが様々な悪影響をもたらすことは理解できよう。しかし、欧米諸国などとの二国間協議で、軍事予算の急増と攻撃的な対外姿勢の故に日本の安全保障にとって最大の課題を提起している国を「脅威」と呼んで、何が問題なのだろうか。

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「言葉遊び」では済まされない深刻な状況

このような言動こそ、日中関係に執心し、中国を刺激するのを過度に恐れているチャイナスクールの姿勢を如実に示している。日本こそが中国の擡頭によってもたらされる戦略的挑戦を正面から受け止めざるを得ない地政学的位置にあり、欧米諸国をはじめとする基本的価値と戦略的利益を共有する友邦に対して、中国問題についての知見と経験を共有し、時に「啓蒙強化」していかなければならない。であるのに、そうした発想が全くないか、弱すぎるのだ。だから、このような発言をしてしまう。狭隘な視野にとらわれたチャイナスクールの宿痾と言ったら言いすぎだろうか。

こうした次第があったからこそ、2022年12月にまとめられた「国家安全保障戦略」の最大の意義のひとつは、中国を「最大の戦略的な挑戦」と形容したことにあると受け止めている。対中外交の最前線にある日本であるからこそ、中国の軍事力の増大と攻撃的な対外姿勢に着目して、「最大の戦略的な挑戦」と打ち出したのである。そうした変化がチャイナスクールの関係者の認識や外交姿勢にも影響を与えていくことが期待される。換言すれば、「懸念」云々といった言葉遊びではもはや済まされない深刻な状況に達していることを政府全体で確認したことに意味があると考えている。