電話で済ませた次官の「抗議」
それだけではなかった。外交部報道官は「中国人民の譲れない一線に挑む者は誰であれ、必ず頭をぶつけて血を流す」とまで公の場で刺激的なコメントを出し、日本側を脅迫したのだ。
このような流れを念頭に置けば、中国によるミサイル発射は、日本に対する挑戦的なメッセージであり、要は「引っ込んでいろ」という警告であったことが容易に認識できるだろう。
当惑を禁じ得ないのは、その際の日本外務省の反応だった。
外務次官の森健良が抗議したまでは良かった。アジア大洋州局長が抗議して済むような次元の問題ではなく、最低限次官、できれば外務大臣が抗議してしかるべき深刻度の問題だったからだ。問題は抗議のやり方だった。
中国大使を外務省に呼びつけるのではなく、電話での抗議で済ませてしまったのだ。事の軽重、外交慣例、国際的相場観に照らせば当然のことながら、東京にいる中国大使を霞が関の外務省に呼び出して厳正に申し入れるべきなのに、それを怠った。そして、なぜそうした安直で軽い方法で済ませてしまったのかにつき、説得力ある理由が何ら示されなかったのだ。もはや政府の一員ではなかった安倍元首相のシンクタンクでの発言に過剰反応して、北京で日本大使を深夜に呼びつけた中国側の対応との対比が際立つ。
これほど重要な事態の展開を直視しながらも、なぜそこで腰が引けてしまうのか?
怒るべき時になぜしっかりと怒れないのか?
情けなく感じる国民が多いことと思う。
ちなみに、この森次官は、現役中、前任の秋葉剛男次官に比して自分が如何に中国に厳しく当たっているかを有力なメディア関係者に説明して回っていたと聞かされた。対中強硬姿勢はうわべだけで、保身のためのものだったのだろうか?
「負けるからやりません」
戦狼外交の中国を前にしながらも、今なお腰が引けた対応をしてきたのは前次官の森だけに限らない。後任次官の岡野正敬も五十歩百歩だ。
2023年8月、東京電力福島第一原発での処理水の海洋放出に猛反発した中国は、日本産の水産物の全面輸入禁止という特異かつ過剰な対応を打ち出した。慎重に準備、説明を重ね、国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを得て行っている措置に対して、科学的根拠に基づかない明らかに政治的な理由に基づく反応だ。しかも、福島だけでなく十把ひとからげに日本からの水産品の輸入をすべて禁じるという、バランスを甚だしく欠いた反応だ。中国の措置の非を明らかにすべくWTOに持ち込むべきだとの議論が日本国内で澎湃と沸き起こったのは当然だろう。
問題は、これに対する外務省の反応だった。
要路の政治家やオピニオン・リーダーに説明に走り、WTO提訴に対して水をかけて回ったのだ。それだけでも中国に対して腰が引けていると言わざるを得ないが、その際の理屈が振るっている。
「WTOに持ち込んでも、負けてしまうかもしれません」
「中国側に反訴されて仮保全措置が認められ、処理水の排出が差し止められてしまうかもしれません」