西欧意識が浸透しなかった愛の概念

少し説明しておきます。ここで「近代化」というのは、西ヨーロッパで15世紀頃から始まった一連の社会変化です。

資本主義が発展し、産業革命によって経済が大きく変化し、政治的にはフランス革命など民主主義が広がり、社会制度が大きく変化するとともに、意識的には宗教や地域コミュニティが衰退し、「個人化」が起こります。

日本では、明治維新以降、世界経済にまきこまれるかたちで、西洋の社会制度が輸入され、近代的社会が徐々に形成されます。

実は、今われわれが考える「愛」の概念も、西洋において近代化とともに作られ、広がり、重要なものとして位置づけられるようになったものです。そして、その概念が日本にもたらされ、広く使われるようになってきたのです。

しかし、日本では、政治的、経済的に近代化しても、価値観や意識面ではなかなか近代西欧の意識が浸透しなかったのではないでしょうか。

もしかしたら、日本が先陣を切って、近代を超えた愛にかかわる価値観、意識を形成しているとみなすことも可能です。

すると、今の日本は、前近代的要素と近代的要素、そしてポスト近代的要素が混じり合っている状況なのかもしれません。今後、その点を念頭に置きつつ、愛の考察を深めていきたいと思います。

「愛している」は恥ずかしい?

柳父やなぶあきらさん(1928~2018)という翻訳家にして文芸評論家の方がいました。彼は、「愛」に関する言葉の歴史を徹底的に調べた人です。ずばり『』(三省堂/2001年)というタイトルの著書があり、その冒頭の節の見出しが「恥ずかしい言葉、愛」なのです。

確かに、欧米の映画やドラマでは、「I love you.」が頻出します。恋人はもちろん、中高年の夫婦でも、「I love you.」と言いながら、キスやハグをします。

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30年も昔の話になりますが、私がアメリカに留学していたとき、現地の学生に聞いてみたことがあります。1993年、カリフォルニア大学バークレー校でのことです。

「アメリカでは、本当に映画のように家の中でもよくキスするんですか?」

すると彼女は、当然という顔で、「両親がキスせず、I love youと言わなくなれば、子どもは親の離婚を覚悟しなくてはならない」と答えたのが、ひどく印象的でした。

柳父さんに戻ると、彼は、「愛」という言葉は文章や歌詞では頻出するけれど、実際の話し言葉では、口にするのが「恥ずかしい言葉」として今でも日本では捉えられている、と述べています。