単なる友達ではない特別な異性
1982年の歌謡曲のヒット作に、松田聖子の「赤いスイートピー」(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂〈松任谷由実〉)があります。
そこには、〈何故 知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らない〉というフレーズがあります。お互いに好きでデートを繰り返していても、告白がないから恋人といえない、そんな状況が目に浮かびます(私も当時は一人の若者でしたから理解できます)。
これは、1980年代前半、バブル景気前の世相を映してもいます。
まだ、男女共に行動する共通の場が少ない時代だったからこそ、このような状況が広く生じていたのではないかと思います。
すなわち「友人として交際している異性」の存在が、一つのカテゴリーとして自立していたのではないか。告白してないから恋人ではないけれど、単なる「友達ではない特別な異性関係」というものが認識されていたのではないか。そう推察できるのです。当連載のタイトルである「愛の分散投資」に即していえば、まだ愛情を分散化できない社会、つまり愛情の出入り口が限られていた時代です。
その後、男女の交流が盛んになると、愛が分散化して「友人として交際している異性」というカテゴリーが不要になる。さまざまな場でいろいろな人と出会い、正式につきあっていなくても二人でお茶したり、飲みに行ったりする機会が増えていく――。そんな流れが一般化します。
要するに、愛の分散化とは、「恋人ではないが交際している」という存在を消滅させてしまうのです。今回からは、その流れを見ていきましょう。
愛情を全く言葉で表さない日本の夫婦
前回述べた柳父章さんの論考のように、日本では、小説や評論、歌謡曲やポップスには、「愛」が頻出します。しかし、日常的に「愛している」と口に出している人は、実際にどれだけいるでしょうか。
図表1は、2023年2月に私が代表を務める研究会で行った調査結果の一部です。
愛情を表現する言葉は「おまえを愛してる」とか「あなたが好き」に限りませんが、その表現を一年間全くしない夫婦がほぼ半数近く、月1回以下も3割ほどになります。9割近い夫婦が、週数回以上日常的な会話をしているので、仲はそれほど悪くはないのでしょうが、日本では「愛情を言葉では表現しない傾向」が端的に見られます。
ちなみに、性的関係が一年間まったくない夫婦は、本調査では41.1%で、愛情を言葉で表現しない夫婦とほぼ重なります(セックスレスに関してはまた回を改めて考察します)。
この調査では、独身で恋人がいる人(サンプル962人)にも同じ質問をしています(図表2)。
年齢層も若いので、既婚者よりは愛情を言葉で表現する人は多いですが、それでも、全くしない人は8人に1人います。月1回以下の人と合わせると、恋人であってもほぼ半数のカップルは、普段、愛情を言葉で表現していない。ということは、「愛している」と言っている人はもっと少ないことが窺えます。