「愛」と「好き」の違いが生む愛情の分散投資
夏目漱石の真偽不明かつ有名な逸話、講義で「『I love you.』は、月がとってもきれいですねとでも訳しておきなさい」と言ったというのも、明治時代の日本人にとって、「愛している」と言うのが、いかになじみがなく、恥ずかしい言葉であったかを示しています。そして、恋愛結婚が普及した現在でも、それは続いているのです。
日本では、「愛」という言葉は、日常的にすわりが悪い。といって好意を抱く相手がいて恋人になりたいと思うとき、つまり告白する際に、通常使われる言葉は、「好き」です。
あなたのことが好き、私も好き。こうしたフレーズは「愛している」よりよく使われるでしょう。ただ、つきあって恋人となった後、しょっちゅう「好き」という人も多くないのは、先述の通りです。
この「好き」という言葉は、それこそ人間だけではなく、食べ物にも、趣味の対象にも使えるとても気軽な言葉です。それでも日本では、好きな人に「好き」と言葉にして言うのも、たいへんなようですが。英語に訳せば「like」になるのでしょうが、英語では恋人に「like」を使ったら怒られそうです。「なんでloveじゃないの?」と。
もしかしたら日本では、「好き」を愛情の告白に使用するのは、いろいろ好きな人や物がある中での「one of them」という意味を強調しているからかもしれません。「他にも好きな人はいる……」と頭の中で思いながら、「あなたが好き」と言っている人もいるでしょう。
このあたりに、日本で愛情の分散投資が広まり、かつ受け入れられている一つの背景があるのではないかと思います。
告白という儀式に見る恋愛事情
夫婦はもちろん、恋人間でも愛を言葉であまり表現しないのは、日本独特の「告白文化」が関係しているのかもしれません。
よく知られているように、恋愛プロセスでの「告白」という儀式は、日本ならではの慣習です。
好きになった同士が、晴れて恋人となるためには、「告白」が必要、つまり「つきあってください」とか「好きです」と一方が言い、告白された方は、「はい」とか「私も好きです」と返事をする。それで、両者は恋人となる。その前段階ではキスをする、いや、手を握るのさえタブーという考え方が一般的でしょう。
欧米など恋愛が発達した文化のもとでは、相手に好意をもったらデートに誘う、お互いキスしたかったらキスをする、抱きたかったら抱くというように、いわばなし崩し的に恋愛が進行します。中には、「キスしていい?」と聞くケースもあるでしょうが、あくまで「行為」に対する許可願いですね。お互いが相手を求めれば、そのまま深い関係まで進む、というのが一般的です。