乙武氏の「公職選挙法の改正」案の危険性

乙武氏は、Xで「ある特定の候補者とその陣営による悪質な選挙妨害」によって、「負傷者も複数人出ました」と発信した。2年前の参議院議員選挙の最中に、安倍晋三元首相が殺された事件に触れた上で、「私自身がこうした選挙妨害と暴力の被害者に」なったと訴える。

はっきりとは書いていないものの、経緯から推測して根本良輔氏と「つばさの党」を指すのだろう。乙武氏は、Xへの同じポストで「公職選挙法の改正」の案として、以下のような公約を掲げた。

「候補者」であったとしても、他の候補者とその陣営スタッフの選挙運動に対して、または選挙の演説を聞いている有権者に対して、一定以上の妨害を行ったり、威圧したり暴力をふるった場合、現行犯逮捕を含む適正かつ迅速なる刑法の適用ができるようにします。

「一定以上」とは、何を意味するのだろうか。それは、誰が、いつ、どのように判断するのだろうか。言うまでもない、警察である。都道府県警察が、「候補者」に対して、「妨害」や「威圧」「暴力」を認めた上で、その場で(現行犯で)捕まえられるようにする、と「公約」したのである。

小池百合子知事「命の危険を感じる」

「ヤジ」と「選挙妨害」の線引きは難しい。同じように、いや、それ以上に、乙武氏がここで主張している「一定以上」のラインは、どこにあるのかを区別するのは、極めて困難ではないか。また、根本氏らは、「街頭演説」を行っている(と主張している)ため、「威圧したり暴力をふるった場合」(原文ママ)については、今回の選挙のように、警視庁からの警告に留まるのではないか。

事実、乙武氏の陣営への選挙妨害については、暴行の疑いで現行犯逮捕された容疑者が、「選挙の自由妨害」で身柄を検察庁に送られている。「適正かつ迅速なる刑法の適用ができる」ほうが、乙武氏の主張する「日本の民主主義の危機」につながりかねず、言論統制へと道を開く恐れがあるのではないか。

裏を返せば、それほどまでに、乙武氏をはじめとする今回の立候補者や、関係者の恐怖心が強かったのだろう。小池百合子東京都知事が「命の危険を感じる」と振り返ったように、「表現の自由」や「選挙の自由」といった法律の文言を超えて、心の底から恐怖心を覚えたと思われる。

小池百合子知事は「命の危険を感じる」と述べた(写真=江戸村のとくぞう/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

しかし民主主義を守るためには、言論を縛るのではなく、できる限り自由にするほかないのではないか。そう考える理由は、この国が、良くも悪くも「空気」に支配されているからである。