平山ユージのクライミングをどう表現していくか
「周囲にとっては『何を考えているんだ』と言いたくなるような、得体の知れないチャレンジだったでしょう。だけど、その記事の写真を穴の空くほど見ていると、『待てよ……』と僕は感じました。
ルート図があって、そこにグレードが書いてある。あれ、これ、誰も想像していないけど、自分にはできるんじゃないか。しかもオンサイトトライでできるんじゃないか、と思っちゃったんです。自分の普段のトレーニング、アメリカとヨーロッパの両方のスタイルを組み合わせた能力と経験があれば、これはできるぞ、と。世界中にいま、サラテをやろうとしているのが自分だけだと思えば思うほど、心が燃えてきましたね。
1997年当時、妻のお腹には子供もいました。生活の拠点もそろそろ日本に移し、自分の次の人生の目標も見据えなければならない。それなら、最後に平山ユージのクライミングをどう表現していくか――そう考える中で、サラテルートのオンサイトトライは自分を表現する上での最高の題材だと思えたんですね」
それは平山にとって、15歳から続けてきたクライミングの様々な経験が化学反応を起こし、彼自身の内側から湧き出るように生じた衝動のようなものだったに違いない。ワールドカップのような「外」から与えられた条件ではなく、自分が自分のためだけに登るべき岩――。このとき、彼はそんな岩壁を心の裡に抱え込んだのだ。
(後編に続く)